黒崎が己の作品として世に出すにはプライドにかけてこの上無く不本意なのだが、これ以上撮影しても人件費時間その他諸々が無駄遣いだという、飽くまでもビジネス上の立場から妥協し渋々アップさせたプロモーション撮影から暫く、尚の周りは意外な程穏やかだった。
それは単純に突っつかれる仕事場に行く事が少なかっただけとも言えるし、吉野の巧みな調整によってもたらされた温情とも取れる、緒方監督からの宿題の猶予を与えられただけともいえたのだが------。
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「やぁ久しぶり、この前の撮影の時は失礼しました。
うっかり翌日も撮影があると思って宿題を出してしまって…。
予想外に提出期限が長くなっちゃいましたけど…あぁでも、じっくり考える時間が出来た分、不破くんには良かったのかな?
これで撮影が滞るようなら…それなりの扱いになるって言ってありましたから…ねぇ、不破くん?」
(…うわぁ…この感じ、覚えがある!!
もんのすげぇ嫌な笑顔!!)
背中に悪寒と冷や汗を感じつつ、尚は目前の華奢な青年を言葉もなく見詰めていた。
どこか優美な雰囲気を醸し出しながらも瞳は冷ややかで、捉えた獲物は逃がさないと態度が示しているようであった。
緒方からの宿題、尚は尚なりにあれから精一杯考えたのだ。
時間が許す限りあちこちで訊ねまくった。
【年下の幼馴染みで将来的には妻とするはずの少女との距離感と接し方】【大人の男としての立ち位置】等々、役作りに役立ちそうな情報を片っ端から集めまくった。
…が、そのどれもが大した役には立たなかったことを、尚はその後の撮影で嫌というほど痛感することになる。
「…不破くん、君は何考えてるんですか?」
「…え…。」
「この前と今回、一体何が変わっているんですか?
…僕には違いがまるで見えないんですが?」
氷より冷たい視線が尚に突き刺さる。
「不破くん、表面ばかり取り繕っても駄目なんです。
頭で考えるんじゃなく、ここで理解しないと、演技に厚みが出ないんですよ。
此所ですよ此所。」
そう言って緒方は己の胸をトントンとグーで軽く叩き、ココ(心)だと指し示した。
そうは言われても尚は戸惑うばかり。
どうしていいのか分からないと困惑した表情を浮かべる尚を見て、緒方は小さく溜め息を洩らしスタジオの隅で撮影を見ていた吉野に合図すると、尚に声を掛けること無く離れていった。
「……どうなさいました?
緒方監督。」
「…後で時間ありますか?
彼の契約内容を少し弄る必要がありそうです。
他の皆も分かってくれると思いますから。」
暗に撮影の進行の不具合を告げられた吉野は、セットの中で迷子の様な佇まいの担当歌手…今は役者として立っている筈の役になりきれない男に目を遣り眇めた。
「…分かりました。
監督としては早い方が宜しいんですね。
此所で済ませても問題なければ私は構いませんが?」
「有り難う、僕は構いません。
…取り敢えず今後の撮影の仕方を大きく変更します。
そちらの事務所と交わした契約内容を大幅に変更することにもなりますね。」
「…そんなにヒドイですか?」
「ヒドイですね。
まるで進歩がないですから。
具体的には出演料の減額をお願いします。
減額した分のギャラを彼と絡む共演者全員で振り分けてもらう形ですね。
彼に絡む共演者にかなりの負担を懸けてしまいますから、言わば迷惑料です。」
その辺僕から不破くんに言いましょうかとサラッと宣う緒方に吉野は目眩と頭痛を覚えたが、尚に少しは堪えて現実を見ろと言いたい気になってしまったのでお願いします、とあっさり了承した。
簡単な会話であったが、映画の契約書の変更に瀬戸際マネージャー権限で承諾した吉野は、持っていたブリーフケースから白紙の便箋を取り出し、略式の変更済み契約書を手早く作製し緒方と内容をしっかり確認して署名捺印契約完了の上で手渡した。
暫く俯いて考え込んでいた尚の前に影が射し込み、ふと顔を上げるとそこには撮影前より黒い笑みを浮かべた緒方が一枚の紙をヒラヒラさせていた。
「……?」
「…不破くん、僕言いましたよね?
この前と変わらない演技をしたら、それ相応の対応をします、と。
大根には大根の使い方、ですよ。
出演料は半額にさせてもらいます。
君に本来出される筈だったギャラの内、半額は共演者全員のギャラに上乗せします。
君が掛ける迷惑料としてね。
これは書面で既に契約変更が成されていますから、決定事項です。
そのつもりで。」
マネージャーの吉野さんが契約内容の変更に快く応じてくれましたと実に清々しい笑顔で言う緒方と、持っていた変更済みの契約書と、セットから離れて自分と緒方の様子を何の感情も読み取れない目で見ている吉野に、尚は愕然とした。
…こんな契約書の変更、普通はやらない…んだろうなぁ。
書類の要るような会社勤めしたことないからなぁ、私…。(-_-;)