マネージャーに渡された一枚の書類には、尚が思いもよらないデータが示されていた。
「………お分かりですか?
これは貴方が事務所から再教育を言い渡され、対外的には休養宣言をした翌週からのランキングと売上の推移を表にしたものです。」
淡々と事実を述べていくマネージャーの冷静な声を聞きながら、尚は手にした書類から眼を離す事が出来なかった。
表向き休養に入ったとはいえ、新曲をリリースした直後だったのだ。
再教育に入る直前のランキングだって1位をキープしていた筈なのに、休養に入った途端ランキングから尚の曲が1曲残らず完全に消え去っていた。
尚の曲だけではない。
日本屈指の芸能プロダクション、アカトキエージェンシーの所属歌手が誰一人として3ヶ月楽曲を発表しないなんてあり得ない。
少なくともランキングに誰かしら食い込んでいてもいい筈なのに、尚が実質的な謹慎状態になった翌週から誰一人として…そう、大物歌手と言われる歌手ですらランキングに一切名前が載らなくなったのである。
…これこそが筆頭に芸能界屈指の力を持つローリィ宝田と、その部下であり京子の守護者たる会社スタッフ、更には地下鉄の天使に魅了された膨大な数の名も無き守護者たちの力であった。
「貴方が休養宣言した直後からのこの異様な事態に気付かない間抜けはこの業界には居ませんからね。
今の貴方は少なくとも自社の総ての所属歌手とLMEに目の敵にされていると思ってまず間違いないと認識してください。
…私だって貴方の面倒見るのは正直御免蒙りたいところなんですけど…自分のくじ運の無さにつくづく涙が出ましたよ。
序でに言っておきますが、私は1ヶ月でマネージャーを辞めさせてもらう事が始めから決まってます。
…貴方とかかわり合いを持つこと自体マイナスですしね。
目下事務所内では私の後釜の押し付け合いでくじ引き合戦の真っ最中ですよ。」
本当に厄介者ですよね貴方はとあまりにも悪し様にマネージャーに言われ、尚は返す言葉も見つからなかった。
僅か3ヶ月。
たった3ヶ月で業界内での居場所は全く無くなっていて、始めから居場所を作り直さねばならない立場に陥っていた事を漸く理解できたものの、状況はデビューの時よりも格段に悪い事までは尚には頭が回らなかった。
先ず事務所に名前を置いて貰っている事自体が奇跡に近いこと。
そして現在の状況が事務所のバックアップが全く望めないこと。
更に事務所の大先輩たる大物からも目をつけられてしまったことが致命的だということも。
そして本来味方になってくれる筈のマネージャーすら厄介者扱い。
まさに四面楚歌。
渋々マネージャーを引き受けている社員は給料分の仕事くらいはするけどとぞんざいに言い放ち、事務所からどうにか回されてきたささやかな仕事を義務的にこなすだけの日々に、尚は精神的な疲弊を余儀なくさせられていた。
(…これならあのまんま寺にいた方がマシだったってことかな…?)
事務所の何処へ行っても向けられる冷ややかな視線。
お情けで仕事を恵んでやってると言いたげな口振りのラジオの深夜放送のプロデューサー。
載せるかどうかは分かりませんけどねと落ち目の憐れな男を見る目で言いながら取材する芸能雑誌の記者もいた。
最早尚にはどうやったらこの状況から脱却できるのか解決策を見出だす切っ掛けすら出来ないところまで追い詰められていた。
そんな追い詰められた精神状態で。
尚は遭遇してしまったのだ。
業界で生き続けたいなら、決して波風立ててはならない相手と。
その姿を見た瞬間、尚は猫を被る事も後先考える事も場所も衆目があることも何もかもを忘れて突っ掛かっていってしまった。
そう。
自分の幼馴染みである最上 キョーコ…“タレント 京子”に。
キョーコは始め、尚が何を捲し立てているのか理解できなかった。
何しろお前が悪い、お前のせいだ、キョーコの癖に生意気だの何だのと久々に顔を合わせた途端に捲し立てられたのだ。
しかも腕を掴み上げられて。
あまりの早業に側にいた和泉にも止める猶予がなく、キョーコは骨が軋むのではないかと思う程の痛みに顔を歪めて尚を睨み付けた。
「ちょっ…と、痛いじゃないのっ!!
離しなさいよこのバカショーがっ!!」
「何だと生意気なっ!!
お前なんかが俺にそんな口利いて良いと思ってンのかよ!?
キョーコの癖にっ!!」
「止めなさいっ!!
ちょっとそこの木偶の坊!!
貴方も早くこのバカ引き剥がすの手伝いなさいよ!!
あんたこいつのマネージャーでしょうがっ!!」
和泉がキョーコの腕を掴んで離さない尚の手を引き剥がそうとしながら唖然として固まっていた尚のマネージャーを怒鳴り付けた。
弾かれた様に我に返ったマネージャーがどうにか尚を引き剥がし深々と頭を下げたのだが…。
「…この件は正式に抗議させてもらいますからね!!
うちの京子の仕事に支障をきたす怪我を負わせたんです、それ相応の対応はさせて頂きます!!
…あぁ大変!!
直ぐに病院に行かなくちゃ!!
こんな痕つけられたんじゃ次の仕事キャンセルするしかないじゃないの!!
行くわよ京子!!」
ギッと尚を睨み付けた和泉が尚に掴まれた腕を痛そうに押さえている京子の肩を抱きながら離れていく姿に、尚は漸く自分が怒りに委せて取った行動の愚かさに気付いたのであった。
はい、今回ちょっとだけキョコたんに痛い思いをさせてしまいました。
あやつにトドメを刺すには必要不可欠な事件だったもんで。(>_<)
そして久々に緑川女史復活です!!
どうなる次回っ!?