「…では先ずお前の幼い頃の事から訊いていこうか。
どこから食い違っているのかをしっかりと見極めなくてはなるまいよ。」



和尚は腰を据えて話をするには正座はお互い辛いからと本堂のど真ん中に座蒲団を2枚置くとその1つにドカリと胡座をかいて座り、松太郎にも真正面の座蒲団を勧めた。



そうして幼い頃からの生活振りや心持ちなどを細々と訊いていったのだが、和尚から見た松太郎は確かに程よく裕福な家の子にありがちな唯我独尊な者と言えた。


ただ一つ、彼はしてはならない勘違いをしているのだと和尚は気が付いた。



「…ふむ、確かに仲居や板場衆はお前のいう事を聞くだろうな。
それは雇用主たるお前の両親が在ればこそだ。
だが共に育ったその…キョーコという娘さんをモノ扱いするお前の神経はどうなっているのだ?
今聞いた話では母親の都合で不破家に預けられた子だと言ったな?
ならば預かったお前の両親の保護下にあるその子は、戸籍や血の繋がりは無くとも言わばお前の兄妹の様なものではないのか?
お前は自分の兄妹ともいう子をモノ扱いするのか?
第一、ひとりの人間を所有物扱いするなどと畜生道に堕ちる振る舞いを良く恥ずかしげもなく言えたものよ。」



そんな事も解らぬかと侮蔑を籠めた視線を向けられ、松太郎は自分の行為がそんなに悪い事なのかと困惑するしかなかった。



「…お前は心が幼すぎる。
お前の両親は言っておらなんだか?
己がされて嫌な事は他者にしてはならん、と。
聞いていながらしなかったか、又は聞く耳すら持たなかったのか…どちらにせよお前はそのキョーコという娘さんがお前に味わわされた辛苦を実際に体験せねばなるまいな。
…文句は言わさぬよ?
これは今後のお前の人生を左右する大切な修行になるだろうしな。」



盛大な溜め息を吐いた後、教育方針は固まったと言わんばかりに立ち上がった和尚は、改めて松太郎のキョーコに対する所業を確かめんと松之園へと連絡を取ったのだった。




状況を知らされた松太郎の両親から、女将が調べさせたという書類が板長の手で寺に届けられたのは、その翌日であった。



「…という訳で私としては短期の荒療治を上乗せした方が彼の為になると考えましてな、その資料が必要と思いお願いした次第です。
ご了承頂けますかな?」



経緯を聞いた板長は得心がいったと頷き、改めて宜しくと深く頭を下げて帰っていった。



それからの松太郎の日々は実家の比ではない、苛酷な環境に置かれることになった。


気を抜ける場所は夜の布団の中だけ、それもほんの僅か。


食事は皆と同じものが出されても目上の者たちに横取りされ、常に下働きとして扱われる日々。


堪りかねて和尚に物申せば、嘗ての自分が幼馴染みの少女にしたことを逆の立場で体験させているだけだと一蹴され、毎晩和尚の説教で一日を終える。



「キョーコさんはお前が今体験している数倍のことを、もっとずっと幼い頃からされてきた。
それも最も近い立場にいたお前からだ。
子供が好きなおやつを取られて喜ぶか?
小遣いを取られて喜ぶか。
思い出すがいい。
キョーコさんはどんな顔でお前を見ていたか。
心からの笑顔で笑っていたと胸を張って言えるのか?」



きちんと答えられるまで和尚の話は終わらない。


松太郎は自分の記憶を掘り起こす様にぽつぽつと話し始めた。



「たしか…困ったような顔しながら笑ってた…。
普段からへらへらしてて…俺がいれば他には何にも要らないって…。」



「…それは幼かったキョーコさんなりの自衛策だな。
お前に嫌われて自分の居場所が無くなるのを怖れた、故に小遣いを取られても、好きなおやつを横取りされても怒る事をせず、学校の宿題を押し付けられても文句も言わず…。
お前の傍若無人な我が儘を、自分に気を許しているが故の甘えだと無意識にすり替える事でそういう発言になったのだろうなぁ。」



挙げ句お前に熱を上げる女の子達から目障りだと疎ましがられ、苛めの標的にされて友達1人満足に作れなかったらしいがそれに関して、原因としての罪悪感は無いのかと問われた松太郎は困惑するしかなかった。

事実気にした事などただの一度も無かったのだから。


自分が異性に人気があることを自覚してからはただそれが面白くて、歌を唄えば誰もが注目する。


そんな毎日が当たり前で、後を付いてきていた幼馴染みがどんな顔をして、どんな生活をしていたのか全く関心を持っていなかった。


「お前と東京に行くまでの15年、少なくとも幼稚園からざっと10年、同性の友人がただの1人も作れない環境にお前はキョーコさんを追いやっていたのだ。
これをどう償うつもりだ?
これだけの仕打ちをしてまだお前はキョーコさんを所有物だなどと厚顔無恥な事を言うつもりではあるまいな?」



寺に預けられ早1月半。


実家に戻されてからの期間も含めれば既に2月半は過ぎていた。



松太郎が歌手・不破 尚に戻ろうとするならば、最早時間は残されてはいなかった。