女将が何とか時間を遣り繰りして東京にやって来ていた頃。


京都の松之園では尚ではなく本名の松太郎に戻らされたバカ息子が、すっきり頭を丸めさせられて従業員一同の前に仏頂面を晒して立たされていた。



「…古くから居てくれとるモンはわかるやろが、息子の松太郎や。
暫く厳しゅう鍛え直す事にしたんでな、みんな、厳しゅう頼むで。
若旦那や言うて甘やかしたら付け上がる、ちぃっとも遠慮は要らん!!
寧ろうちの倅なんぞと思わず只の追い回しとして扱ってくれ!!
もしこんなバカもんを庇うやら労るやら、しよる様な真似したら、減給扱いにするからな!?」



板場以外では非常に温厚で寡黙な板長のあまりの怒り様に従業員達が唖然として板長を見詰めていた。



「勿論社員寮で生活もさせる!!
社員寮の中でもボン扱いしよると減給扱いするよって、そこんとこはきっちりな!!
ええな!?」



あまりの怒り様に板場衆も中居達も共通で頭に一つの言葉が過っていた。



《障らぬ神(板長)に祟りなし。》



一度解散するように申し付けたものの、古参の従業員達は夜にまたミーティングがある旨を告げられ、まだ何かあるのかと困惑しながら仕事に散っていった。



「…お前もさっさと行かんかいっ!!
先ずは買い出しの荷物持ちや!!
後は板場の先輩に聞き!!」



散っていった従業員の後に続こうともせずただ見送っていた息子の脛を蹴飛ばし、板長はさっさと行けと広間から追い立てた。


尚改め松太郎は不服そうに板長を睨んだものの逆らうことはせず、渋々板場へと足を向けて出ていった。




そのまま松太郎は板長の剣幕に畏れをなした従業員達に腫れ物に触るが如き扱いのまま一日を過ごし、慣れぬ仕事に振り回されてくたくたで寮へと連れて行かれたが、着いた寮でもまだまだすることがあるからと更に追い立てられ、完全に解放されたのは日付が変わった後になっていた。



一方指示を受けていた古参の従業員達は一部屋に再び集められ、漸く東京から戻ってきた女将も合流しての話し合いの場に腰を下ろしていた。



「…済まんな、皆疲れとるやろが。
今日からうちの倅の松太郎が入ったが、ホンマに他人扱いにしたってくれ。
あいつはわしらが馬鹿なせいで輪ぁかけた馬鹿に育ってしもたんや。
叩き直すんは親の役目やよってな、お前さんらぁにも協力して欲しいんや。」



「親方、若旦那…いや、松太郎の坊は何しとったんですか?」



年嵩の料理人の一人が事情を訊きたいと身を乗り出した。


それは従業員誰しもが聞きたかった疑問。



「……身内の恥を晒す事になるんやけどな…。」



話さなければ事情は掴めまいと、気が重い様子で女将が口を開いた。


内容は警察に相談したら逮捕されても仕方ないと思われるもので、従業員一同唖然として言葉も出ない。



「キョーコちゃんが悔しさのあまり、見返してやろうとライバル事務所のLMEに飛び込んでタレント活動し始めてな。
訴えようなんて気ぃは更々無かったんやて。
仕返しするなら自分でしよう思たんやと、今日東京行って直接謝り入れようと会いに行ったら話してくれたんや。
…まぁ、今は自分の世界を拡げるんが楽しゅうてあの阿呆の事なんかどうでも良うなったて言うてくれたけどな。
けどそれじゃあうちの気ぃは治まらんの!!
実の子だからこそあないな阿呆を世に出しとくなんぞうちの人生最大の汚点やっ!!
今更腹ん中に戻そうかて戻せんからね、せめて余所様に迷惑掛けんように、自分のしてきた事の始末くらい着けられるように叩き直さな、あんなに尽くしてくれたキョーコちゃんにうちは顔向け出来しまへんっ!!」



縁あって預かり、しかも家出していくまで女将修業させていた娘。


その子に情が湧かない訳がない。


自分の子は勿論大事だが、同じ様に育てたキョーコもまた可愛いのだ。



まさに今、実の息子の松太郎には可愛さ余って憎さ百倍状態の女将。



「…あんたら、ちぃっちゃかった頃のキョーコちゃんとおんなじ扱いをあの阿呆にしたっておくれな。」



あの阿呆にはキョーコちゃんが味わったであろう生活をたぁっぷりさせな解らんやろ、と一人ごちる女将に従業員達は首を傾げた。



「…あ、あの…女将さん?
何の事ですやろか…。」



女将の放つ怒りのオーラに戦々恐々としながら訊いた仲居頭に、尚治まらぬ怒りを秘めた目を向けた女将はそれでも声だけは静かに真実を告げた。



「…あの子の所属事務所から事件を知らされて暫く経った頃、東京からのお客様がうち宛に大きな茶封筒をわざわざ客室に置いていかはったん、覚えてるやろ?
あの封筒にはなぁ、キョーコちゃんがうちで暮らしてた頃の調査表の写しが入っとったのえ。
恐らくキョーコちゃんの周りでうちの阿呆が迷惑掛けとったのを赦せん人らが調べたものだったのやろなぁ。
…ただ、うちかてそれを鵜呑みにする様な真似はしたないからな、客観的事実っちゅうものを確かめるために改めてそっちの会社で洗い直してもろたんよ。
…ま、全~部事実やったけど。
思い出せん言うなら見せたろか?
うちも迂闊やったのやね。
信頼してたあんたらがまさか小さな女の子にあないに酷い仕打ちをするなんて思いもしなかったのやから。
やよってうちも同罪や。
松太郎にキョーコちゃんが受けた仕打ちのホンの一部でも解らせな先には進まれへん。
うちも心を鬼にしてもう一度躾直す。
あんたらも手ぇ抜いたらあきまへんえ。」



にっこり笑った口許とは裏腹に決して手抜きは許さないとばかりに冷酷な目で見渡してくる女将に、一同はただ頭を下げたのだった。










またまた切るとこが難しくて長くなりました。


料亭旅館の板場の上下関係は結構厳しいと思われるもので(あくまで想像ですが)松太郎はみっちり根性の叩き直しを受ける事になるでしょう。


…しかしちょっと見てみたい、丸坊主になった馬鹿ボンボン。(笑)