今日は我が家の長男優の21回目の誕生日です。

優は主人の仕事の都合で福島市で生まれました。

前の年の7月に福島に転勤になり私は病院の栄養士として仙台市で働いていたのですが、残務もあり福島から1か月仙台まで片道2時間かけてJRで通いました。

家事すべてこなしお弁当を含め3食きちんと作ってましたしアイロンかけまでしてました。

そして退職したのですが、その数日後今までに体験したことのないほどのだるさを覚え出血。

妊娠初期で健康保険の切り替えも終らないうちに切迫流産で即入院。(過労でした)

助かるかどうかは子どもが生命力があれば助かるし、弱ければ流産するとお医者様に言われました。


助かることを信じて1か月入院。

無事に妊娠が確認され退院。


その間点滴治療をしたのですが、

数週間後に初めて見舞いに来た姑に

「●●(義兄)に行けって言われたから来た。そんな注射なんかしてまともに育つの!」と。


きついきついと思っていた姑だったけど大っきらいになった瞬間でした。

(亡くなった今でも絶対許せないです)


でその後は順調だったのですが、出産の前日からおなかが強く張り痛くなりました。

その前日夫が、職場の人間関係のストレスでよって財布や名刺を雪道に捨ててしまい、いっしょに探しにいったりしたのも悪かったと思います。


21日早朝布団の中で大出血。

立てませんでした。同じ社宅のおくさんから産後用のパットをいただいたのですが間に合わずバスタオルでも間に合いませんでした。


夫が救急車を呼び、出産の入院セットを持って入院。

その時あまりの出血でけいれんもあって血管も硬くてなかなか入りませんでした。


普通分娩はできなくて帝王切開になりました。

(私はこんなに出血して普通分娩できるわけないって思ったし、子どもが生きているかもわからないな?赤ちゃんの服きせてあげられるだろうか?)なんてことを思っていました。


胎盤の静脈が破裂して危険な状態だったらしいです。


2度の命の危険を乗り越えて生まれた優。

小さいうちは熱を出しやすかったりしたけど、無事大きく育ちました。


姑のちゃんと育つの?という言葉に反抗するため、早生まれの子に早期教育もしてしまったかも。

毎日、勉強する習慣をしっかりつけ今では国立大学に入れました。

(夫の2回おちた大学に1回で入れました。)御姑さんありがとう。

お姑さんに対する意地がなかったらここまでがんばれませんでした。


義兄がうちに来て茶の間で勉強してる優に

「かわいそうにお母さんに無理やり勉強させられて、そんなに勉強ばっかりしてると頭おかしくなるよ」っていつも同じことばかり言います。(優も嫌がってます)


優は4月から鳴子の近くの研究室に行き大学院もそこに行くと思います。

がんばって自分の進みたい道に進めるよう応援したいと思います。