関口の話は続く。


「武くんがジョエル氏のそばで働き始めるとすぐに私が呼ばれました。」


「ジョエル氏は武くんの心が、子供のままだということに気づいたのです。」


「ジョエル氏は私にこう言いました。」


「『武は確かに料理センスは天才的だが、それだけではシェフはつとまらない。』」


「『君は武の欠けている部分を補ってやってくれないか?』」


「自分の料理センスに限界を感じ始めていた私は、迷わずその申し出を受けました。」


「以来、私は武くんのマネージャーとして彼のサポートをしてきました。」


「そういう事情だったんですね、今までどうもありがとうございました。」


優子は関口に頭を下げた。


「いえとんでもない、武くんがいなければ私はとっくにドゥマンから追い出されていましたから。」


「お礼を言うのはこちらのほうです。」


関口は恐縮した。


「それで17年が経過したんですか?」


これは茜が質問した。


関口は小さく首を振ると


「いえ、本当は働き始めて3年経ったとき、武くんは日本に帰るつもりでした。」


「それがなぜ今まで?」


優子が訊く。


「実は武くんが帰る直前、ジョエル氏が脳梗塞で倒れたのです。」


「幸い、命に別状はありませんでしたが、軽度の麻痺が右手に残ってしまったのです。」


「日常生活には支障ありませんが、シェフとしては致命的でした。」


「武くんは帰国をとりやめました。」


「ジョエル氏の代わりをつとめるために。」


「ジョエル氏の味を完璧に再現できるのは、武くんしかいなかったからです。」


「武くんはシェフとして腕を振るうかたわら、ジョエル氏の味を引き継げる人材を育てました。」


「しかしそれは並大抵のことではありませんでした。」


「そのために10数年の歳月がかかってしまったのです。」


「それやったらそれで、電話の1本でもよこせ!」


鉄二はそう言って武の頭をはたいた。


「いったーい!だって優子の声聞いたら帰りたくなっちゃうもん。」


武は頭を撫でながら答えた。


「ちっ、あほんだら!」


「っで、これからどないするつもりじゃ。」


どうやら鉄二の怒りもおさまりつつあるようだ。


「えーっと、その・・・・・・・・・・」


武は少し口ごもっている。


「ああ、そのこともよければ私がご説明しますが。」


関口が助け舟を出した。