この世に更に、裕福な国家に生を
授かった事は奇跡的な出来事だ。
そして毎年、相当数出る死亡者と
失踪者に加わる事無く、今に至っている。
この世に誕生した当時から、
日本は既に資本主義社会であり、
世界第二位の経済大国として、
上手くいっていたので資本主義に
ついて疑問に思う事なく、本質どころか
言葉の意味すら知らない状態だった。
資本主義とは?
封建制度の後を継ぐ人類社会の生産様式.商品生産が
支配的な生産形態となっており、あらゆる生産手段と
生活資料とを資本として所有する有産階級(資本家階級)が、
自己の労働力以外に売るものをもたない無産階級(労働者階級)から
労働力を商品として買い、それの価値とそれを使用して
生産した商品の価値との差額(剰余価値)を
利潤として手にいれるような経済組織。
自分なりの解釈としては
販売する術、物、知識、資源、資本、ルートを
持つ者は、それらを持ち合わせない者の
時間と労働力を給与という対価を支払い購入している。
残酷な言い方かもしれないが、
労働者は資本家にとっては
一つの買い物と言い切れなくも無い。
日本国内では様々な法律や人権尊重の
お陰で、比較的緩く生き易い資本主義社会である。
それでも本質的なところには理解しておいた方が、
何となく生きているより覚悟を持つ事ができる。
リストラ所謂クビと言われる現象は、
買い物に例えると経営者という購入者が、
購入した商品を不要になり手放す事だ。
理由は様々で、商品の運用コストを
捻出できなくなったり、望む価値が商品に無くなった場合、
商品が変化する市場価値に適応できなかった場合等に、
購入者は商品を不要となり、手放したり
窓際に追い込んで対価を減らしたりする。
資本家は資本を、労働者は労働力を
この2つの組み合わせにより利益を生み出す。
そしてこの利益は資本家が定めた
配分で労働者毎に分配される。
利益の分配が少ないなどの文句を、
言える環境は今の時代まだ健全である。
利益そのものが大幅に減少したり、
利益どころか負債を多く抱え込む事になれば、
経営者はまず労働者に分配する給与を減らすだろうし、
必然的に労働者を減らす必要が発生してくる。
最悪の状態になれば、この利益組織自体を
解散すなわち倒産させる必要性も出てくるだろう。
労働者は資本家に比べれば得る利益は少ないが、
大きな負債を抱えるリスクは少ない。
自分という商品価値を常に高く保てば、
自分を購入してくれる購入者を変更すれば、
同じような生活を続ける事ができる。
資本家は労働者に比べれば得る利益は、
大きく自由と大きな利益を見込める。
その一方で大きな負債を抱えるリスクもある。
但し利益組織を複数運営する事で、リスクを分散する事も可能。
所謂、経営能力の一つである。
18世紀から19世紀にかけて起こった産業革命を、
現代の資本主義社会の誕生として考えた場合、
資本主義は誕生してからまだ200年程度の社会だ。
同じ資本主義といっても当初のものと現代のものでは
全く異なる代物といっても良いだろう。
労働者の労働条件は当時と比較すれば、
文句の言い様の無い程格段に良くなっている。
休日、給与、保険制度、失業保険、労働組合その他諸々。
しかし当時と比較して悪くなった点もある、
産業が成熟し資本家が増えた事で、
競争が激しくなり利益を出す事が難しくなり、
強き組織は更に強く弱気組織は日に日に弱くなる。
労働者は自分を購入する資本家に強さを求めるが、
強い資本家は優秀な商品を購入するので、
一般的な労働者は弱く不安定な資本家に購入される
しか術が無く、将来に対する不安と向き合って
生活せねばいけなくなった。
何も利益的な側面である社会ばかりが変化した訳ではない、
日本で言えば、価値感の変化から核家族化や1人暮らしが増え、
支えあう人間が少なくなり全体的には孤独化が深刻化する事で、
人間本来が持ち合わせていた、幸せの共有という支え部分も無くなった。
昔に比較して収入が無くなる事が、格段に死に直結した事を意味する。
最近では無縁社会という恐ろしい言葉も聞かれるようになった。
何事にも負の側面は必ずあるし、怒りを覚え批判したくなる
対象はいつだってこういった、ネガティブな部分に対してだ。
但しこういった大きな流れに関しては、幾ら個人が団結して
大きな団体を作って批判したところで、期待するような結果は得られにくい。
革命でも成し遂げる事が出来れば、資本家どころか
資本家の上の権力を握る事が出来るだろう。
資本家の上の権力を握る事が出来るだろう。
実際に不平不満がある人は沢山が、実際掘り下げて良く考えて見ると
そこまで大層な事ではなく、実際にはパーソナルな問題だという人が大半だろう。
そこには革命の種を生み出さない為の、情報統制があるというのも嘘では無いだろう。
全てをパーソナルな問題として、国家やルール、資本家の問題を抜きにし
世界を変えるには自分を変えた方が早いという意見のみを、鵜呑みにするつもりは無いが、
自分は世界を変える坂本龍馬のような情熱もビジョンも無いので、
当面は自分を変える事に本気で取り組んでいく事にコミットしたい。
