わたくし事ですが…

Apexとはあまり関係ない記事です。
高校1年生の夏。
神奈川県大会・準決勝で敗れはしたものの、
メンバーもかなり残り、
良いスタートを切っていました。
練習と練習試合の嵐。
そんな中、
憧れの先輩がいました。
一つ上のエースで4番。
入学した時から
一緒にジムに行かせてもらったり、
初めてのキャッチボールをしてくれたり…。
そんな先輩を初めて見たのが、
中学3年の甲子園。
まだ1年生ながら、
背番号『11』をつけて、
憧れの甲子園の舞台に立っていました。
同じ身長、名前にも同じ漢字があり
試合では投げてなかったのですが、
なぜか印象に残っている
そんな選手でした。
入学してすぐ、
彼も俺に似ているって
すぐに気付いてくれましたね。
その背中を必死に追いかけている中、
高校1年の夏・8月17日
先輩は
天国へ旅立ちました。
突然の出来事に、
泣き崩れ、叫び、気が狂ったような選手たち。
ここから僕らの、
『先輩を甲子園へ連れて行く』
という旅が始まりました。
エースで4番。
当然チームとしては大打撃になるわけです。
秋の大会も目前。
急造投手として何人か上がり、
その穴を埋める選手。
僕も外野手から投手へコンバート。
秋の大会は目前。
悲しみの中、
休んでもいられない状況。
大会当日。
背番号『1』は
欠番で試合にのぞみました。
メンバー表には先輩の名前。
ベンチに写真が飾られ、
背番号『1』がついたユニホームも
一緒に飾られました。
そこに先輩がいる。
一緒に甲子園へ行く!
その想いを胸に、
選手は一体となって、
秋の大会を勝ち上がっていきます。
必死の想いが届いたのか、
関東大会出場!!
甲子園へはベスト4までいけると出場が安全。
もちろん選手の想いは変わらない。
その想いは強かった。
見事甲子園への切符を勝ち取り、
春の甲子園へ。
その甲子園。
残念ながらスタンドで見ていた僕。
憧れの甲子園。
そこはほろ苦い場所でした。
小雨の中、
相手投手に抑え込まれ、
初戦敗退…。
悔しくて涙が止まらなかった。
『俺はなぜグラウンドにいないんだろう』
股関節の手術が終わったばかりの僕でしたが、
すぐに練習に参加。
春の甲子園は、
亡き先輩が連れて行ってくれた。
今度は自分たちの手で、
甲子園を勝ち取ろう!
そして夏の甲子園へ
亡き先輩を連れていこう!
春の大会は、
関東大会・準優勝。
決勝のマウンドを任されるも、
1-2で敗退。
そして迎えた夏。
大会直前、
先輩のお母さんが、
先輩が来ていたジャージを切り抜いてお守りを作ってくれました。
先輩直筆のノート等が入ったお守りを
首から胸にかける。
『一緒に息子を甲子園に』
そんな中先輩のお母さんが、
『あなたがマウンドにいると、息子が投げているみたいで涙が出てくる』
身長、なんと体重まで同じだった。
投げ方も同じ右。
特別にって、
お守りは右肩部分で作ってくれました。
お守りを胸に、いざ大会へ。
しかし、
神奈川の夏はそんなにあまくない。
シード権を獲得していなかった強豪校まで
同じブロックになってしまう。
本当に全ての試合が激戦。
なんとか食らいついてベンチに入った僕も、
1試合だけだが、先発のマウンドを任される。
みんなで勝ち上がる。
ベンチもスタンドも一体。
もちろん先輩も。
そして決勝・横浜スタジアム。
満員の中、
あふれるばかりの歓声の中、
僕らは悲願の、
神奈川の夏を制した。
夏の甲子園。
ついに僕も甲子園へ選手としてベンチ入り。
春に苦しいほど辛い涙を流した場所へ、
今度こそ自分の手で先輩を連れていける。
その想いが本当に強かった。
そして、
今度こそ勝利を。
その夢も叶う。
1回戦を接戦で勝ち、
校歌を歌う。
悲願の勝利だ。
迎えた次の試合。
雨なども重なり、
試合日はなんと
『8月17日』
そう。
先輩の命日。
なんというめぐりあわせ。
彼もいっしょにここへ来たんだなと思った。
スタンドで先輩のお母さんが泣いてました。
うちの母親も泣いてました。
試合は終始こちら側がリード。
しかし、
初回から嫌な展開もある。
初回にいきなり先発当初の投げる肩に死球。
冷やしながら投げるというアクシデント。
その後もバントしたボールが目に当り、
退場する選手まで。
それでも先制し、
1度もリードを許さず最終回へ。
点差は4-2。
ベンチはもう飛び出す準備まで出来てた。
なのに、
それなのに、
相手打線が止まらなくなる。
あわてて僕も準備に入る。
止まらない。
この日だけはなんとかしなきゃいけないんだ。
勝たなきゃいけないんだ
誰もがそう思った。
4-8
その裏、
なんとか攻撃するも、
結果は変わらず
4-8
最後の整列はまったく覚えていない。
でもこれだけは忘れられなかった。
先輩のお母さんが泣きながら来てくれた。
『ありがとうね。
息子が、
やっと息子が甲子園で
一つ、
年をとった』
そうだった。
僕は背番号
『11』
憧れの先輩が1年の夏、
この甲子園でつけていた背番号。
僕は2年生の夏、
『11』
をつけて甲子園にいたんだ。
涙が止まらなかった。
見た目が似ている僕を見て、
先輩のお母さんは泣いていたんだ。
返りのバスも、
放心状態だった。
寮につくと、
なぜかつかない電気。
するといきなり、
非常ベルが一気に鳴りだした。
キャプテンが、
『いるなら顔見せろよ!
お前なら幽霊でもなんでもいいよ!』
って叫んだ。
またみんなで泣いた。
あれからもう10年以上たった。
それでも
『8月17日』
は、
忘れられない1日。
今僕は歌い手になり、
亡き先輩への歌を書いた。
高校野球のテーマソングをやらせてもらった年に、
その歌を書き、
母校でライブもやらせてもらった。
今日も、
新横浜で歌います。
1年に1回、
8月17日にしか歌わない曲
『貴方のいない路の上』
今日だけは泣いていいのかな。
一生忘れられない思い出。
忘れたくない思い出。
先輩が好きだった歌。
だから歌にしてみました。
興味がある方は、
新横浜の地下室へどうぞ。
先輩、
天国で元気かなぁ。
今日は甲子園のいるのかぁ。