街路樹のイルミネーションが、夜霧に溶け込むように柔らかく揺れている。
行き交う人々の足取りには、年の瀬ならではの軽やかさがある。窓辺に灯る明かりの数だけ、家族ごとの物語が、今夜も静かに息づいているのだろう。

幼い娘が、ふと尋ねた。
「サンタさんは本当にいるの?」

「いるよ」と答えながら、自分が何歳まで信じていたのかを思い出せずにいる。
娘は少し考えてから、また聞いた。
「じゃあ、パパも小さいころ、プレゼントもらった?」

思い出そうと記憶を探るが、包装紙を開ける高揚や、胸が弾むような場面は浮かんでこない。
残っているのは、欲しいものを口に出せなかった、あの頃の静かな沈黙だけだ。
時代の違いか、家庭の事情か。その理由を断じることはできない。

ただ一つ、確かに言えることがある。
過去に足りなかったものを、そのまま次の世代へ手渡す必要はないということだ。
親が受けた形をなぞるだけが、継承ではない。いま目の前にいる子どもが何を求めているのか――そこに心を澄ますことこそ、現代の親に課せられた静かな責務なのだと思う。

他者の喜びを、自らの喜びとして感じ取れるか。
それは知能や成績では測れない、人間の根に宿る力である。
「利他は究極の利己である」という逆説を、これからの歳月の中で、どう娘に伝えていけるだろう。

答えは、まだ見えない。
けれども、聖夜を待つ街の灯りは、急がずともよいと言わんばかりに、静かに問いだけを残している。