第二子のお産  | Mother Earth~やんちゃ長男&脳性まひ(PVL)次男の成長日記~

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~青葉台隠れ家ヨガサロンは引越のためクローズしました~
やんちゃで元気いっぱいの長男&脳性まひ(PVL)の次男、イギリス人の夫との日々のことつぶやいています♡

7月29日、8週間予定日より早く、切迫早産で、我が家に二人目の男の子がやってきました。
体重は、2050gと32週1日の赤ちゃんにしては、しっかりしたカラダで産まれてきてくれました。

予定日よりかなり早かったため、初めは肺が未発達で、NICUで色んな管に繋がった状態でした。でも、産まれて約10日たった今、呼吸もかなり安定してきて、呼吸器や点滴は取れました。

不安な気持ちもまだありますが、赤ちゃんの生命力を信じて、お医者さまを信じて、たくさんの愛と感謝のエネルギーを送り続けて待つしかありません。


早産傾向は全くなかったので、精神的にも、物理的にも準備はできていませんでした。

29日の朝、なんとなく下腹部が痛く、おかしいな?と思いました。

とりあえず、洗濯や朝ごはんの洗い物は済ませ横になりました。本当は、J J と映画に行く予定でしたが、痛みが10分おきに来て、痛みがあるときに、お腹が張るので、これはおかしいと思い、かかりつけのクリニックに連絡しようとしたら、なんと夏休み。
次にお産予定だった、助産院に電話すると、まず来てみて、と。

タクシーにJ J と乗り、助産院へ。念のため、仕事で博多にいる夫にも連絡。
ついたら、モニターやエコーで確認をしてもらい、大丈夫そうなので、とにかく安静にと。
ただJ J がいるので、実家の母が着くまでは、お部屋で横になり、J J は、助産院のオモチャで一人機嫌良く遊んでくれ、二人で助産院の美味しい美味しいお昼ご飯をいただきました。

ご飯を食べるころには。7分おきくらいになり、波が来ると横になりながら、いただいてました。

土曜日なのに、珍しくベテラン助産師二人が揃っていて、調理さんは、私の大好きなヨガの生徒さんであり、友人の女性。
大好きな場所で、大好きな人との時間をしばし過ごしました。J J は、私を心配してか、よく一人で遊び、たまに、私の頭をなでなでしてくれてました。

助産師さんに、念のため、提携先のクリニックに行くように言われ、母が到着した15時頃には、タクシーで近所のクリニックへ。初めて行くクリニックでした。

そこでお医者さんが内診をすると、いきなり、
「ダメだ、こりゃ!」と!
「え?ダメって何がですか?」と私。
「ごめん!もう今日産まれちゃうってこと。子宮口が3センチ開いてるね」と、先生。

今思い出すと笑い話。

でも、その時は、ダメー、まだ早すぎる!出て来ちゃダメーって、もう涙が止まりませんでした。不安でした。こんなに早く出て来たら、赤ちゃんは大丈夫なんだろうかって。

とりあえず、夫に電話し、すぐ博多から帰るように話し、ベッドで陣痛を抑える点滴をしてもらい、近くの大学病院に連絡をしてもらいました。

いやいや、看護師さんたちのパニック振りがすごかった。点滴焦りながら打って大丈夫~と、私も焦りながら思ってました。後でお友達で助産師の方から聞いたら、もう赤ちゃんがすぐにでも産まれてしまいそうで、みなさん焦っていたらしい......私は、一人目の長い長いお産の経験から、まだまだ、これくらいの痛みなら産まれないはずって思ってました。

すぐに救急車は到着。
その頃には、5分おきくらいに、少し強めの陣痛が来てました。
私はひたすら、ヒプノバースの呼吸法をしてました。

救急隊のリーダーらしき初老の男性のキビキビしながらも、心遣いや、声がけが本当に素晴らしくて、すごく有りがたかったです。あれこそ、プロ魂!

しかし、普段救急車を見ると大興奮なJ J が、まさかの乗車拒否!
「やだ、怖い。J J はタクシーで行く!」と。
無理やり私の母が乗せて走り出して、私が、「ママにお顔見せて。ママのところに来て」と言っても、目を反らし、固まっていました。小さいのに、色んな想いを持っていたんだろうなと思うと胸がキューっとなります。

大学病院に着いてからの迅速な対応も、本当に素晴らしかった!
あっと言うまに、分娩室へ。
ドクターや、沢山の助産師さん、看護師さん。
そこから、必要な検査やドクターからの、万が一のリスクや帝王切開の説明を受けてるなか、子宮口は全開に。

「ロバーツさん!もう赤ちゃん産まれますよ!」と。

まだ往生際が悪い私。

「点滴で押さえられませんか?」

いやいや、今思えば、

子宮口全開ゆーてるやん❗と突っ込みたい(笑)


とりあえず、夫に電話。
新幹線に乗っていた夫に、赤ちゃんもう、出てくるよと伝え、二人で号泣でした。

でも電話を切った頃、じわーっとお印というか、出血が。私の中で、スイッチが入りました。


「フィン君、一緒に頑張ろうね。大丈夫だよ。みんなが付いてるから」
と話かけ、ヒプノバースの呼吸法に集中しました。その頃には、婦人科のドクターは二人、小児科のドクターも揃い、万全の準備ができてました。

あっと言うまに、息むように言われました。
ヒプノバースでは、息まずに呼吸で赤ちゃんを下ろすので、一瞬迷いました。
でもすぐに、助産師さんに従おうって思いました。赤ちゃんは、まだ小さいし、早く出してあげるのがきっと良いんだって思って。

数回息むと、赤ちゃんが上手に回旋しながら、出て来てくれ、赤ちゃんが出たとほぼ同時に胎盤もスルッと出てきました。比較的冷静にお産に向き合っていた気がします。ひたすら、ヒプノバースの呼吸に集中しました。会陰切開も裂傷もなし。今考えると不思議ですが、お産の3日前から少し早いけど、会陰マッサージを始めていたんです。

話を戻すと、赤ちゃんは未熟児なので、抱くことはできないまま、小児科のドクターや看護師さんが迅速に必要な処置をして、すぐにNICUに運ばれました。

赤ちゃんは、J J が産まれた時の半分くらい。しかも、前回は29時間くらいかかったのが、今回はあっというまだったので、お産自体はかなり楽でした。でも、赤ちゃんが大丈夫なんだろうかという心配と、産まれてきてくれた喜びや興奮と、すぐに抱けない淋しさと、いろんな感情がごちゃまぜでした。

赤ちゃんがNICU に運ばれた後、すぐ夫にも電話をし、報告しました。新幹線の中で泣いていました。母とJ J も分娩室に来てくれ、出産の報告をしました。

後から、担当してくださった助産師さんと話をしたら、なんと私がお産予定だった、助産院バースあおばで7年前に研修を受けたそうで、何となくそれだけでも安心し、しばし、おしゃべりに花が咲きました。

お夕飯をいただいて、夫の到着をひたすら待ちました。長く感じたな。9時前くらいに到着した夫、涙の再会でした。よく頑張ったねと何度も言ってくれました。

そして、やっとNICU へ。
まずは、赤ちゃんに会う前に先生から、検査結果の説明がありました。感動したのは、先生の対応で.....
結果の前に、

「今日は、32週で陣痛が来て、クリニックから搬送になったわけですが、子宮口も開き、赤ちゃんにもお母さんにも出産するのがベストで、お産という流れになりました。突然のことで大変でしたよね。動揺されたことと思います。」

というような、気持ちを汲み取るような発言がまずあってからの説明で、本当にありがたいなと思いました。

検査結果は、やはり大きなポイントは、肺が未発達で体内の二酸化炭素量が多いこと、しばらくは無呼吸のリスクがあることでした。

生死に関わるリスクではなさそう、でも不安でした。無呼吸!?そんなこと起きたらどうしようって。

そして、待ちに待ったフィン君との対面。
嬉しかった。
でも、沢山の管に繋がれた小さなフィン君を見たら、もう辛すぎて、不安過ぎて、申し訳なくて、涙が止まらなかった。
対面のとき、夫がいてくれて本当に良かった。

その夜は興奮と不安で眠れぬ夜を過ごしました。


続く......



産まれた直後の息子。
JJの産まれたてにそっくりラブ