気ままな独身暮らしに見えている私であるが
毎日漠然とした悩みの中で生きている。
(正確には生かされている)
結婚しているときには、既婚者なりの悩みが
あり独身生活も8年目になると独身なりの悩
みがあり若い自分と違うのは、周囲に言わな
いだけである。基本的に一人完結型の生き方
になってしまった。
というのも日々信仰生活を基盤としているた
め人よりも神に信頼を置いた生き方だからだ
と思う。八方塞がりの中でも絶望せずに生き
られるのは聖書の言葉に信頼を置いて、日々
学んでいるから。そうでなければ恐らく私は
変わらずに心療内科の服薬治療中の身であっ
たに違いない。
人間は自分が思い以上に弱く、脆い生きもの
だ。どうしようもない原罪が顔を出すたびに
自分の愚かさに幻滅する。以前の私は信仰者
ぶった人間であった、偽善者であったのだ。
無知であることに気づき背骨がない自分の人
生に対する憤りと苦悩が常に私を苦しめてい
る。祈っても祈っても変わらない生活に嫌気
が差すこともしょっちゅうだが
それでも祈らずにはいられない自分がいる。
交際している最も話しやすい理解者がいるよう
に見えて、霊的な部分での違いに戸惑いを覚え
て境界線を引いてしまう自分がいる。感情的に
はセーブしてしまう癖がついてしまった。
だから可愛げがない。
弱さを人に出せないのも苦しい。
「今日のヨッパは可愛くない」
そんな言葉を放たれることもある。
頭ではわかっている。こう言えば受け入れられる
と計算もできるが、そうしたくない自分がいる。
誰に受け入れられたいのか?情欲に流されない
生き方をしていくには、感情に流されない目が
試される。