私は朝のルーテインと夜のルーテインについて

は彼には伝えている。信仰者であり毎日聖書を

読み学んでいることも伝えている。その為、

20時以降は電話中であっても「そろそろ時間だ

よ」と相手が戒める程だ。信仰者だからと身構え

ていない。積極的に伝道もしていない。私の生き

様は背骨がない状態であることをそのまま伝えて

いる。教会に対する偏見は彼にはない。時々質問

してくる聖書の箇所を答えられるようになった自

分が少しばかり誇らしく思えるようになった。

彼が仏教の話題を口にしても一切否定しない。

自分が嫌な事は相手にもしないことが鉄則である

と思っている。

 

 

経営者の彼は従業員を抱えず、単独一人で経営し

母親と同居していて家計を支えている。驚いたの

は、電話中に母親らしき人がご飯の内線の

声がした時に彼は敬語で話すことである。まるで

皇室のような話し方に驚いた。確かに私に対する

言葉やLINEの文面・行間に至るまで美しい。

経営者という模範を見せられているかのように

堂々としている中に柔和さが見えて美しい。男性

なのに女性的な細やかな配慮が随所に見えていて

尊敬が先にあるような人である。

 

 

こんな素晴らしい人がなぜ60歳になるまで相手

がいないのか?聞くと、40代で2名の女性と5年

ずつ交際している。勤め人だった頃は云々・・と

私に話してくれる。その相手の女性の経歴がまた

別格であり、私とは異なる世界の人である。そう

だから私には劣等感が刺激される。そして相手が

好意的な言葉を述べると「本当の私を知らない癖

に」というひねくれた感情が顔を出す。勿論相手

には言わないが、私の悪い癖で相手を遠ざけてし

まうのだ。これは恐れからくる感情であり行動だ。