昨日に引き続き、クレイは出エジプト記4章で
杖による奇跡の文化的背景についてである。
この時代のパロの象徴であるコブラに対抗して
モーセの杖もヘビに変わる、ナイル川が命の川
と言われている地が血に染まる、重い皮膚病に
罹ることも癒すことも可能である、イスラエル
の神は偉大である、ということをモーセが知る
シーンである。私は映画で出エジプトを知って
いた。余りにもハリウッド映画の影響に傾いて
どこか神話的に捉えて、神の存在を軽視してい
たのも事実である。信仰生活とは段階があるよ
うだ。知れば、知るほど自分がどれほど無知で
あるかを思い知らされる。学べば学ぶほど自分
がどれほど罪深い人間であるかを思い知らされ
る。そこに、特権階級や地位や名誉などの肩書
は無意味であり、いのちの重たさだけがある。
このワクチン騒動で、「1日100万回摂取」
すると公表した岸田首相の言葉を国民はどう
受け止めているのだろうか?いのちの尊さを
この国の対策においても考えさせられている。
私の肉の思いでは、ノアの方舟のように洪水で
一気に悪人を一掃するようなことはできないの
だろうか?と突拍子もない発想が巡ることがある。
しかし、この点においても神は今は沈黙してみて
おられる。
1日1章は創世記25章である。アブラハムが死に
息子イサクの生涯から双子の息子エサウとヤコブ
に移行していく。エサウは長男、ヤコブが次男だ。
いろいろと思うことはあるが、面白いのは長子の
権利をめぐってヤコブが母リベカと共に小細工し
て獲得するのであるが、実は最初から神の計画で
長子の権利は生まれる前からヤコブに決まってい
たということである。ここには両親の偏愛問題や
長子の権利を、一杯のスープで売買したエサウの
軽率さ、ヤコブが父を欺くシーンが割愛されてい
るが、全ては神の主権で進んでいくのだ。ここに
人間のとりこし苦労の滑稽さが浮き彫りにされて
いる。何とヤコブが胎にいる時から神は彼を長子
の権利を継ぐものと決めておられたのだ。
その視点で、自分が家族の中で、ただ一人救いを
受けているのも大きな神の計画を感じさせられる。
運命論は信じていないが、神の主権は信じている。
神の摂理の中で、将棋のコマのように動かされて
いるとしたら、ただ委ねて歩むのみである。
今日も必要以上に力まず、頑張らず、恵みと信仰に
よって歩んでいこう。