朝のデボーション3日目、クレイは出エジプト3

章、1日1章は創世記21章であった。

自信喪失するくらい砕かれた方が信仰には有益

であることが、体験的にも今日の学びの中のモ

ーセの姿からも伺える。一般的に若いというの

は良いことの象徴のように使われるが、信仰的

に見れば案外落とし穴の確率が高い。

救いを受けた当時の自分は、まるで全世界を知

ったかのような根拠のない自信にみなぎり、

それが嫌味な人間として漏れていた。それは、

当然神の目にも触れていた。その光景はモーセ

が、ヘブル人の同胞を救うためにエジプト人を

殺した時と重なる。その後、逃げるようにミデ

ヤンの地に逃亡する模様は、まさしく自分と重

なる。神の計画というのは、人間的な器とは正

反対の計画で進められることが多い。

ここに、人間の限界を認めざる得ない。

神は沈黙しながらも、「見た」「聞いた」

「知られた」と出来事全てを把握しており、時

がくれば行動に出て約束を果たされるお方である。

今の情勢にも同じことが適応する。このワクチン

騒動の理不尽な世の中を神は全てご存知である。

 

 

 

個人的な要望を神に願い求めるのも必要だけど

それ以上に、神の人類救済計画の成就を願う方が

重要のように思えてならない。この地上にいる

全ての人間は「霊的病人」である。肉体的には

健康な人であっても、霊的には病人である。

私も含めて、病人には医師が必要である。霊的な

医師には不正も失敗もない。その人に応じた治癒

を施されるからだ。しかも、無料である。だから

その感謝が同じ霊的な活動をしている団体に向け

られる。強要して献金をもらおう、もらおうと

している団体ではなく、何も言わずとも必要な

場所が不思議な形で示される。ここにも神への

信頼が試されている。人間的な計画は全て失敗し

神の計画だけが成就する方程式がわかると、降参

するしかない。夜は、ローマ人への手紙を学んで

いるが、徹底的に人間の罪の本質と向き合わされ

ている。肉的には嫌だが、今日も学ぶ。御言葉の

蓄積と理解があまりにも乏しいため、人生につま

ずいているからだ。

 

 

頑張らず、気負わず、力を抜いて、ただ信頼する。

今日も1日、恵みと信仰によって、歩もう。