レビ記は幕屋に関してレビ族の業務マニュアル

のような箇所である。恥ずかしながら、初めて

この箇所をじっくりと学んでいる。信仰歴が

長くても、決してこの箇所には目を向けずに

過ごしてきた。私にとって系図・数字・名前の

羅列は耐え難く、自分にとって読みにくい箇所

は飛ばし読みが当たり前であった。旧約聖書の

理解は表面的だったのだ。今回は、創世記から

学び始めて順番にじっくり型で学び直している。

レビ記の幕屋の構造とその意味が理解できると

キリストの救いがいかに恵みに溢れているかが

味わえる。聖所とと至聖所の垂れ幕が真っ二つ

に裂かれたという十字架の受難の時に起きた

あの人間では不可能な出来事は、律法の時代の

終焉を表していたのか!と感動する。聖書は

素人が読んでも難解で、聖書通読だけでは正直

意味がない。その意味を理解して、その内容が

今の時代にどう活かされるのか知って初めて

「易」となる。ここまで達するのに25年以上の

歳月を要する私は一体・・・・・である。

 

 

 

レビ記と民数記に関しては、1章ずつの学びが

私には必要で、あらゆる情報から国分寺教会の

櫻井牧師の教えを聞いている。率直で耳が痛い

内容もあるが、それは人間側の私に非があると

捉えて聞いている。日本中に聖書に詳しい牧師

がいることに感謝している。ハーベストタイム

の中川牧師・シンガポールの松本牧師・そして

国分寺教会の櫻井牧師の3本柱で旧約聖書の理

解を深めて、新約聖書との関連を学んでいる。

3人の先生の見解をそれぞれ聞いていると段々と

レビ記と民数記がヘブル人への手紙やローマ人の

手紙と連携していることに気づく。今後の信仰で

私が目指すのは、人生の指針として聖書を活用

できるまでに御言葉の奥義を蓄えることである。

 

 

 

教会の説教だけに頼らず、自立した信仰生活が

土台にあり、そこにはキリストの主権が先頭に

物事・人間関係が構築されることを目的にして

いる。今までは、何となく流れで教会に行って

人任せ的な部分があった。だからこそ、荒野を

さまようイスラエルの民と同じ立場に置かれた。

3000年前であろうと、霊的状態は時代問わず

同じである。教訓を学んで、実践していくには

丁寧に学び直す必要が私にはあった。ところが

このレビ記と民数記は時間を要する。ここには

私の霊的教訓が多く隠されているのかも知れな

い。この先、ヨシュア記以降まだまだ学ぶ箇所

は山積みだが、新約聖書を立体的に理解できる

ように毎日計画的に学び続けていこうと思う。

 

 

 

さて、肉体強化も見直して腹斜筋を鍛え始めた。

朝の競歩・筋トレだけでは中高年の肉体は変化

が乏しい。プランクをした時の横腹から垂れる

贅肉が邪魔である。30代のようにスムーズに

体型が戻らないのが40代であるようだ。目標は

シャツをインした時に、一切お腹の贅肉がない

ストンとした体型である。冬場の厚着で誤魔化

す必要がないように、こちらの管理にも力を注

いで適度な筋肉を蓄えていこう。今月からチャ

ガ茶を飲んでいる。抗酸化・抗がん等々免疫力

を高める作用が私の中ではヒットした。排便の

色が赤煉瓦っぽくなるが、排便回数が増して

贅肉対策になっている。40代は食選びに注意し

質の良いものを体内に入れていきたいと思う。