1週間ぶりの小渕沢オリーブ教会のライブ配信礼
拝を心待ちにしていた。都会に住む私には、自然
に囲まれた背景も同時に楽しめる。信仰関連の動
画の共通点は、ハーベストタイムと関連があるこ
とだ。教理が同じであるため、安心して見れる。
その上で別の視点で学べる部分がいい。この教会
の何が凄いかと言うと、坂本牧師が自身の肉体の
弱さを前面に打ち出して、皆が支え合っている点
である。私は常に緊張感に晒された教会に通って
いたため、常に気合いが入っていた。弱さを出せ
ない教会というのは疲れる。癒しを祈り求めなが
ら、常に裁かれている感が否めなかった。少し前
は動画で教会の内部を覗くこともできなかった。
閉鎖的な教会に通う人は、信仰なのか宗教なのか
区別がつかなくなる。ところが、聖書を学び直し
その上で、礼拝(動画)に参加すると神への感謝
の一点に尽きる。語られる言葉一つ一つが霊魂に
沁みた。学んだ箇所でも、毎回新鮮である。その
都度、響いてくる箇所が違うのも新鮮である。
そして何より、今日はゲストの話題に私は涙腺が
破壊した。
彼は私と変わらない年齢であった。牧師家庭で
生まれ、いろんな反発心・放蕩があった。人生
への挫折・神学校で再出発しようとしたがうまく
いかず、挫折。そして体調も家族間も全てが不調
になり始めた。聖書から遠く離れ、神社仏閣に足
を運ぶようになり、スピリチャルという分野で
御利益品を買い揃え、自分が何処に向かっている
のかわからなくなったある日のこと、お風呂場で
パニック発作に襲われる。友人である坂本牧師の
教会建設の塗装が得意で、賜物を活かして訪れて
いた。その時に人生の挫折に関して祈ってほしい
と坂本牧師と共に祈った。その時の光景を牧師は
「彼は、礼拝している」と感じたという。心から
の礼拝は立派な建物ではなく、形式的な礼拝では
なく、ありのままの弱さをそのまま神の御前に
曝け出す姿そのものであると。私は嗚咽していた。
自分と同じような挫折を味わっている人がいる。
礼拝中の動画の前で、声を出して泣くとは想定外
であった。神様は、この動画を通して私の霊にも
触れて下さっていた。一人礼拝の時の何倍もの涙
が一気に溢れ出して、泣きじゃっくりのまま賛美
した。途中で声に詰まって賛美できなかった。
鼻水と涙を拭きながらの礼拝であったが、私は
非常な恵みと慰めを得た。その礼拝の終わりの
祈りを捧げていた兄弟の語る言葉内容にまた
耐えられなくなって泣いた。彼も声に詰まって
いた。不思議だが皆あの時、時空を越えて御霊
の感動が広がっていたように思う。主イエスに
あって一致が何なのか、教会の存在意義が体験
を通してイエスが回復させてくれているように
感じた。あなたは教会を恐れているが、本来の
教会は今日のように弱さを出し合える愛の集ま
りなんだよ。そう言われている気がした。
人は誰しも弱点を抱え、生かされている。それ
を口にできない苦しみもある。試練の只中でも
御言葉にある力は絶大である。そして、神様は
誰だか分からないような人を用いてでも回復さ
せてくださる方である。私は神に愛されている。
そのことが実感できた礼拝であった。