エジプトでの飢饉2年目にカナンの地に住む
ヤコブの息子10名がヨセフのもとへ食料を
買いに訪れる。ヨセフは39歳になりエジプト
の総理大臣という立場である。この箇所は
「兄弟の罪責」がテーマである。22年前に
ヨセフが穴に落とされ、その次にエジプトに
奴隷として売られていた時の心境を同じよう
に食料を買いにきた兄弟たちにシナリオを
準備しているヨセフがいる。もう、鳩のよう
に純粋だけの彼ではない。神との親しい交わり
の中で、自分に課せられている役割が見えて
思慮深い彼に成長している。献酌官の恩知らず
の2年間がさらにヨセフの精神や魂を逞しく
してくれた。これはイエスがイスカリオテの
ユダから売られた後の件と似ている。神である
イエスが、神である特権を使わないで、人とし
て最後まで人類救済の目的を果たそうとした姿
である。
ヨセフは兄弟たちに、自分が22年前言われた
ように「スパイに来たのか」と荒々しく応じる。
以前、ヨセフが少年だった頃、兄弟たちの素行
の悪さを父に告げ口していた時、スパイ扱いを
受けたように、兄弟たちに同じシナリオで心を
引き出す作戦である。この時、ヨセフの中では
既に兄弟たちを赦していた。しかし兄弟たちが
あれから、どう変わったか確認したかったのだ。
と言うのも、ヨセフはこの飢饉があと5年継続
すれば、ヤコブ一家がカナンの地で暮らすのは
困難であることを感じていた。自分がエジプト
の地で奴隷として仕えるようになったのも、
実は神の計らいだったのかも知れない。神との
豊かな関係性を育んでいく中で、ヨセフには先
の未来が見えてきていたようにも感じる。
しかし、その前に兄弟との和解が必要だ。
ヨセフのシナリオでは兄弟たちをスパイとして
扱い、兄たちの本音を聞き出すことだった。
兄たちはこの時のヨセフが、非常に荒々しく
まくし立てるため、正直な気持ちとともに家族
背景まで話してしまう。父親と兄弟の話がでた
とき、ヨセフは父親が健在であることに胸を撫
でおろしただろう。(父さん、元気なんだと)
兄弟の話になったとき、ヨセフの存在は死んだ
(聖書にはいなくなったと記載)ことになって
いた。そして末の弟であるベニアミンは父の元
にいると言う。(相変わらず、父さんの偏愛は
変わっていないんだな。兄さん達から嫌がらせ
に遭っていないかな)
そこでヨセフは、一人が末の弟をカナンの地か
ら連れてくることを信用を得る条件として掲示し
た。兄弟達の誠実さが見えてこないため、3日間
兄弟達を監禁所に入れた。そして3日後、彼らに
新たな条件を提示する。次男シメオンが監禁所
に残り、9名はカナンの地に戻って家族の飢えを
補い、弟のベニアミンを連れてくる条件だった。
彼らの話すヘブル語はエジプトでは通じないと
思われていた。通訳人がいたからである。しか
しヨセフは細かい兄弟同士の会話や空気感を読
み取っていた。兄弟達は22年前の罪責感に苦し
んでいた。
「確かに我々は弟のことで罪がある。彼が
しきりに願ったとき、その心の苦しみを見なが
ら我々は聞き入れなかった。それで苦しみに遭
うのだ」
(長男ルベンだけは、22年前反対したというこ
とで罪責感がなかった)
「私はあなた方にこの子供に罪を犯すなと言っ
たではないか。それにも関わらず、あなた方は
聞き入れなかった。それで彼の血の報いを受け
たのだ」(ルベンから他の兄弟たちへ)
ヨセフの涙が物語っている。奴隷として仕える
歳月の中で、陶器師である主に練られて神の目
線で兄弟たちを見れるようになっていた。
彼らが食料に困らないように準備して、道中の食
事そして彼らが支払った銀もそのまま袋に戻した。
地上生活に必要なものを用意してくださる恵み深
い神の子羊イエスと重なる。この状況を喜べなか
った兄弟たちは、罪責感から恵みを逆に恐れてし
まっていたのだった。(罪の投影)
家に帰宅して、この状況を父ヤコブに伝えた時に
も負の連鎖は続く。ヤコブもまた、自分の子供を
全く信用できず、もがいたのである。長男ルベン
が自分の子供を信用の代価として差し出しても、
過去に父の女奴隷に手を出している罪もあり、
ヤコブには響かない。ヤコブ一家は、ヨセフ事件
以降は家庭破壊していたのである。族長たちの人
生を学びながら、自分の人生と対比している。
私も家族破壊した。血の繋がりが問題を大きくす
る時がある。親子関係が呪いに変わる時がある。
この学びは、私にとって赦しの境地を辿る旅でも
ある。ヨセフの器は孤独から生まれている。神と
深く繋がるための摂理だったとしたら、私にも同
じような希望があるのだろうか。信仰生活を送り
ながら、破壊してしまった後からの歩みを霊的に
学んでいる。