私にはあるツールから黄金時代がくると信じる
人達からのメッセージが次々に届く。最初は
目を通していたが、夢物語が過ぎるため最近は
開かないようにしている。トランプが救い主の
ように聖書を都合よく引用して、近未来を明る
く捉えている人が多いことに驚く。別の意味で
平和な人である。しかし聖書を見ていくと黄金
時代はこの地上に来ない。むしろ、刻々と終末
に近づいてきているし、統一政府の話も浮上し
ているではないか。ベーシックインカムが起用
される頃には、統一政府による別の奴隷制度の
開始である。ダニエル書や黙示録には終末論の
詳細が書かれているが、この分野は聖書研究に
詳しい高原剛一郎さんの見解を参考にしている。
聖書にはいいことだけを記載している書物では
ない。天国行きと地獄行きが明確に記されてい
る。口当たりのいい言葉だけで「神は愛」とは
言い難い。人間を創った神の言葉を信じて歩む
人には励ましの書物となる。人間の都合で歩む
と、神の定めた時期に刈り取りが待っている。
そういう点では、自分軸で歩むのは危険だ。
他人軸で歩まず、自分軸で歩む勧めが自己啓発
でよく勧められる。霊的な目で見れば両者とも
穴に落ちる。つくづく人間の身勝手な解釈の罪
深さにゾッとする。かく言う私もつい最近まで
この思考に賛同していたのだ。
神様は、その人のペースと理解力・能力に応じ
舞台を用意して下さる。自我が強かった私には
砕かれる期間が一定数必要だったのだろう。
この10年間は紆余曲折を通して、自分の限界を
示されて、現実から逃げ出したくなる局面とあ
る種の病に襲われた。当たり前の世界は何一つ
ないことを痛感した。朝、目覚められることも
神の赦しがなければ叶わないことを。人間は
不運を通じてしか学べない生き物なのだろうか。
大切な人も数人失った。もう再会できない人も
いる。この地上において、辛い局面に遭遇する
たびに自分の小ささを感じさせられた。今まで
私は、どこに向かって歩んでいたのだろうか。
今思えば、聖書を断片的にしか読んでなかった
私は現実的に幸せ過ぎたのだ。だから神を必要
とすると口で言いながら、優先順位が低かった。
あの時、読んだ箇所で動じなかったザアカイと
イエスの出会いの箇所(社会的に排除された人)
を読むと、自分のことのように涙が出る。
裏切ったとされるペテロの箇所も涙が出る。
ヨセフ物語で兄弟から売られたくだりも、自分
の家族破壊の事情が重なり涙が出る。ことごとく
自分に関係ある出来事が綴られている書物である。
それほどに、私は罪が深いことと唯一の神である
イエスに赦された女であることを痛感している。
これからの私の人生の指針は「白紙」である。
神が用意したプランから限りなく逸れ過ぎていた。
人間の私利私欲で得たものは「虚しさ」「終わり」
神の用意したプランの道に帰りたいと思う。聖書を
学びながら、その時を待ちたいと思う。