昨日、朝の起床時から突然のめまいに襲われた。

危険なめまいか、耳石によるものなのかを判断

するには手先の痺れ・ろれつが回るか等々確認

する。筋トレによる神経圧迫による腕や手先の

痺れさえも、こんな時はめまいと関連づけて

不安に襲われる。とにかく体を横にして寝た。

どんなに健康管理に気をつけていても、不調が

襲うことがある。こんな時に自分の弱さを認識

する。何事も過信は禁物であることを思わされ

た。約3ヶ月休まず筋トレをしてきたが、この

不調で初めて筋トレを休んだ。そしてこの一件

でトレーニングの見直しをすることにした。

体幹を鍛える筋トレを有酸素運動に変更した。

今までの私であれば、すぐに整形外科か脳外科

を受診してCTかMRIを受けていただろう。今は

違う。一旦立ち止まって、心を静めて祈るよう

になった。無駄にレントゲンで被曝しないため

である。

 

 

 

さて、ヨセフ物語(創世記)を学び始めている。

話は既に知っているが、細かい文脈から現在にど

う適応させるか学ぶ必要がある。以前の教会は旧

約聖書は既に成就したから不要だというスタンス

であったが、だから信仰がいつまでも浅いままだ

ったのだと思う。旧約も新約も同じ神様である。

新約時代のイエスも旧約の御言葉を引用して弟子

たちを教えているのだから、旧約聖書を学ぶこと

なしに新約聖書を理解することはできないと思っ

ている。

 

 

 

さて、ヤコブは約束のカナンの地で人生の踊り場

状態であった。人生には上り時期・下り時期と

安心しているおどり場の時期がある。自分がどの

時期であるかを考えながら信仰状態を吟味すると

いうのは大事である。その安心しきった中で起こ

るのがヨセフ事件である。かくいう私は下り時期

であった。そこから神の憐みを受けて這い上がっ

ている最中にいる。このヤコブは年齢的にもヨセ

フを特別に愛していたようだ。正妻(ラケル)の子

であることに加え、他の兄弟は何かと黙っている

が(死ぬ間際に預言と遺言を語る)それなりの罪

を犯してしまっているからだ。長男ルベンは父の

女奴隷と寝床を汚し、シメオン・レビは妹のレイ

プ事件で人を殺めている。ユダはこの時堕落して

カナン人の女と寝て民族性を重視していない。

ヨセフの着ていた袖付きの長服というのは、本来

後継者(長男)が着用するものであるが、ここで

ヤコブはヨセフが後継人であることを既に表して

いる。

 

 

 

ヨセフはこの時17歳。思ったことをそのまま口に

する純粋性があった。ところが鳩のように純粋で

も、蛇のような賢さはこの地点ではまだ身につけ

ていなかったようだ。悪気なく兄達の素性の悪さ

を父であるヤコブに告げ口したり、自分が見た兄

達が弟をひれ伏す夢をそのまま兄達に話すのであ

る。そのことが、兄弟達の恨みへと変わっていく。

血が繋がっている者同士でも積年の恨みが生じる

ことがある。カインとアベルの事例も同様に、兄

カインが弟アベルに嫉妬して殺してしまった。

このような先祖の行いから学ぶのは、嫉妬心から

人生を滅ぼされないようにする秘訣である。

イエスの時代も、祭司や律法学者は

イエスに嫉妬して最終的に殺意を抱く。自分より

優れている人を認めたくない、目立つ人を追いや

りたいという意識は、人間のどうしようもない性

の一つである。

 

 

 

神に繋がり、自分が神に愛されているという確信

があると他人の動向に対して、いちいち気になら

ない。信仰者であっても、健全な自己肯定感がな

いと、教会内または家族間で足を引っ張られる。

今の時代は特に、陰湿ないじめとして姿を表す。

加害者のほとんどは愛に飢え渇いている人である。

一時的な男女の愛・家族間の愛も創造主の愛には

劣る。人間の感情は一定ではないからだ。利害損

得の上で成り立っていることの方が多い。うんざ

りである。ヨセフは2つの夢を啓示されたことで

試練を乗り越えることができた人である。ここで

アブラハム・イサク・ヤコブは直接神からの言葉

が語られたが、4代目のヨセフは夢での語りかけ

に変わる。族長たちは、神の言葉に突き動かされ

人生指針を立てていくのだ。

 

 

 

ヨセフの成長物語は、赦しと再生もテーマである。

そこに至るまでの過程で、人間のどうしようもな

い感情を超越した神の介入が、どの兄弟にも働き

神の計画が、神の時に、神の方法で進んでいく。

ヨセフの人生とイエス人生は類似している。

共に嫉妬心に振り回されず、智慧によって乗り越え

ていく姿を見ていくことができる。

 

 

 

我が子よ、確かな知恵と慎みを守ってそれをあなた

の目から離してはならない。それはあなたの魂の命

となり、あなたの首の飾りとなる。こうしてあなた

は安らかに自分の道を行き、あなたの足はつまずく

ことがない。(箴言3:31ー33)