「レフトリバインド」という携挙の映画がある。

携挙を全く知らなかった頃に観たときと意味を

学んで見る感覚は当然違う。家族の福音が困難

なのは、イエスが一番知っている。イエスは

聖霊によって誕生しているため、兄弟とは血の

繋がりがない。ここに父ヨセフの血が加われば

父なる神の子とは言えなくなる。処女降誕であ

ることが特筆されることである。また、母マリ

アを崇めるカトリックにも違和感がある。母も

また聖女ではなく、罪人の一人に過ぎない。だ

からイエスは新約聖書で「女の方」と表現して

いる。

これは、神聖宣言であって公生涯を開始してか

らは、マリアの役目は母親ではなく、姉妹の一

人である。イエスの兄弟に弟のヤコブがいるが、

彼もイエスの十字架上の死と復活までは、確執

関係が続いていた。一見すると、家族関係とい

うのは近いゆえに真意が伝わりにくい。

 

 

 

この映画の主人公の家族関係も、父親の道徳の

乱れから始まる。同僚の女性との不倫関係を娘

が知るところから物語が始まる。母親は敬虔な

信仰者であり、毎回福音を語っているようだ。

そのことが、父親と娘には鬱陶しい。世界中の

災害・災難に関してある女性が聖書の通りの

現象なのだと語っているところに、娘は神が

本当にいるならば、そんな災害から救うことが

できるのではないのかと反論する。聖書を学ん

でいない人が神様の存在を人間的な価値観で

判断して言葉で論破する訳だが、ここに人間の

罪深さ(傲慢さ)が浮き彫りに描かれている。

 

 

 

信仰とはご利益信仰ではない。時が良くても

悪くても今の現象に左右されない。それは魂の

救いを得た人間にしか味わえない霊的な喜びが

あるからだ。それを教えるのが難しい。神社や

神棚に納まるような小さな存在ではない。人が

人を導くような宗教でもない。この地球全体の

被造物を創造されたお方である。生まれる前か

ら存在している神が、肉体となって降ってくれ

た方がイエスである。そのお方はユダヤ人であ

る。日本人でも中国人でもアメリカ人でもない。

 

 

 

そんなこんなで家族関係がギクシャクしている

最中で、突然携挙が起こるのである。飛行機に

乗っている人間の救われている人は衣を置いて

消えている。世界中でこのことが一瞬のうちに

起こる。その後から、交通事故や災害が起きは

じめる。聖書では、7年間の患難時代前にこの

ことが起こると書かれている。今、トランプが

率いるQプランに黄金時代を期待している人が

少なくない。しかし、彼が救われていれば共に

携挙で消える。携挙の後に起こるのは、反キリ

ストの登場である。最初の3年半と後半の3年半

で多くの人の命が奪われる。生きるのが大変な

時代となる。特にイスラエルは大変な時代にな

るが、彼らは国民的に最終的には救われるとい

う神の契約(約束)がある。

 

 

 

映画の中では、あり得ないアクション演出で

最終的に肉体的な救いが描かれているが、魂の

救いは描かれていない。

 

 

 

人は必ず、肉体は地に返る。せいぜい生きても

120年なのである。それは創世記に記されてい

る通りである。メドベッドで不老不死を期待し

ている人がいるが、そんなことを悠長に言えな

い時代がくる。今までの歴史も聖書は一ミリも

狂いがないのだ。血の呪いは血の贖いでしか

解決できないということを聖書は教えている。

イエスの流された血潮の後で酸いぶどう酒を

口に含んで喉を潤し「完了した」という言葉を

語ったのは、人類救済の全てのことが終了した

ということなのである。霊的な救いこそ生きる

道であることがようやく分かり始めてきた。

 

 

一人でも多くの人が今も生きているイエスに

出会い、魂の救いを得て新しい人生を歩めま

すように。共に、千年王国に行こう。