夕方のウオーキングをしている時、マスクなしの

私は毎回避けられる。ある時は笑われることさ

えある。美容室では「日本人に贈る聖書物語」

の新約編を読んでいると「分厚い本ですね」と

聞かれ「はい、これ聖書が分かりやすく書いて

あるのです」と答えると触れてはいけなかった

人間のような眼差しを受けながら会話が途絶え

る。これがこの世の現実である。クリスチャン

にとっては生きにくい一面がある。携挙が近い

終末であっても、ノアの洪水が起こる直前まで

人々は飲み食いしてめとったり嫁いだりしてい

たと聖書が教えている通りなのだろう。イエス

も公生涯では、人々から除け者にされることが

多かった。イエスの足跡をついていくとは、同

じような歩みになるということだから、光栄だ。

 

 

 

しかし、一部にはこの地上では受け入れられ

難い私の思考に賛同してコンタクトをとり接点

を持ってくれる人もいる。そこそここの世で成

功を納めている分類の人である。ヨッパの考え

を聞きたいと言ってくれる。携挙が近いという

ことも迷わず伝えている。考古学に興味のある

人とあって、歴史であるイエスの生涯、旧約時

代の話も頷いてくれる。救道中の方でもない。

ただ私に興味があるらしい。以前にもyakuzaの

人が突然、教会を案内してくれと言われてすぐ

救われて、その後は働き人の主要な人になった。

当時、聖書の知識も全体的な流れも無知に近い

レベルであったが、この未熟な私を神様は時々

用いてくれることがある。人の救いは完全に神

の計画の中に包含されていると言っていい。

 

 

 

時は刻々と迫っている。今夜から私が好きな

ヨセフ物語の学びに入る。ヤコブの偏愛が兄弟

の中で殺人意識を芽生えさせ、妹のレイプ事件

で復讐の主犯格になった、シメオンとレビがこ

こでも怒りのコントロールができない。そして

ヨセフは神の摂理が働いてエジプトに売られて

いくのだが、ヨセフがキリストの型であるとは

最初は思えない。親の偏愛が兄弟格差を生み、

天真爛漫なヨセフが悪気なく綴っていく成長物

語こそどう生きていけばいいかを教えてくれる。

神は絶望の只中でも、神のときに、神の方法で

神の計画を成就させていく。それは今も同じで

ある。

 

 

 

教会から訳があって離れた兄弟姉妹たちよ。

共にインターネットで有益な聖書講解の学びを

通じて、霊的な健康を回復させよう。もう余計

な問題を抱えることなく、自分の信仰心を

回復させることが先決であると思うのだ。教理

がおかしい教祖的な教会で苦しんでいる兄弟姉

妹が、静かに教会を離れて聖書が教える神様が

もっと慈愛に満ち、喜びや感謝が溢れる霊性に

なれた時に、神様は不思議な景色を見せてくれ

る。葬式のような暗い教会・徴兵制度のような

威圧的な教会は何かがズレているのだと思う。

誰に教理を学ぶかによって人生が変わるとした

ら、霊的指導者の責任は重大である。聖書時代

もラビ選びは重要であった。イエスは隠れた部

分も冷静に見ておられる全能の神様だからだ。

 

 

 

私は、同じ教会で傷つき離散してしまった兄弟

姉妹がどこかで癒され、信仰が回復される日を

切に祈っている。