創世記を学んでいて、それぞれの登場人物が
自分の人生なのだという捉え方で見ていくと
イエスがこの世に肉体となって来られたこと
の深い恵みが観念的ではなく、実感として
沁みてくる。族長たちの学びで今、ヤコブ
(後にイスラエルという名前になる)を今
学んでいる最中である。アブラハム→イサク
ヤコブの神と続く族長たちの生き様は今の
時代、どうやって生きていくべきかを教えて
くれる。
家族問題・近隣問題・生業問題と人間的な思
いではどうしようもない角度で神の介入があ
るからだ。しかも、族長たちに関わる正妻や
側女(女奴隷)に至る当時のハムラビ法典で
法的に通っていた一夫多妻制の悲劇も赤裸々
に綴られている。6000年前から人間の本質
は、どうしようもない性との闘いとも言える。
現代の異性問題・家族問題の本質も聖書から
ヒントを得ることができる。要は、人間的な
思考には限界があることを潔く認めることが
解決の早道であると思う。
創世記のヤコブの箇所では、兄のエサウとの
確執問題・歪んだ親子関係も学べる。族長で
さえ、信仰の停滞や苦難、失敗の連続である。
ここに私は慰めを受けた。今日に至るまで実
に失敗の連続で人生の敗北者のような歩みで
ある。
そんな私が毎晩、食い入るように聖書の御言
葉の文脈・行間を学びながら理解を深めてい
る。御言葉を咀嚼出来ずして、御言葉は消化
しない。信仰年数だけ無駄に過ぎた私は、成
長が停止して名だけの虚しいクリスチャンに
成り代わっていた。敗者復活を賭けた聖書の
学び直し2年半生だ。独断で読まないで、ヘブ
ライ語に精通した牧師にネットで学びながら
意味を理解していく。私の場合ハーベストタイ
ム→シンガポール教会松本牧師の順番で同じ
箇所を、同じ教理で学んでいる。二人の先生の
見解を聞くことで復習ができる。聖書一冊は
書き込みで潰そうと思っている。その都度読み
「ああ、そうか、こういう背景があってこう
いう御言葉があるのか」と自分が理解できる
ように書き留めている。使用している聖書は
口語訳である。新改訳・新共同訳・英語聖書
も持参しているが、今回は口語訳で進めている。
神は霊であるから、霊とまことをもって礼拝
しなければならないいう御言葉がズシリと響く。
天と地が繋がるには、人間側の備えが必要だ。
「父よ。ヨッパを許したまえ。彼女は何をして
いるか分からないのです」そうイエスが私に今
までとりなしの祈りを捧げていたかと思うと泣け
てくる。十数年私は信仰から遠く離れ去っていた。
神が私を完全に見捨てて、全てを奪い去ったと人
間的な解釈を下していたからだ。ここにも無知の
罪がなす刈り取りがある。信仰回復の道は続く。