ワクチン騒動で完全に二極化した論争が飛び交

う。政治団体にも、医療団体にも、一般人にも

二極化。互いに自分達の言い分が正論だと主張

する。聞く耳を持たないことへの怒り、押しつ

け、分離など。まるで、25年前イエスの福音で

のぼせていた私の福音活動の流れと似ている。

魂の救いを伝えたい熱意を周囲に理解してもら

おうと、あの手この手でトラクトを配布してド

ン引きされていたときを思いだしていた。今は、

肉体のいのちの選択権でキリスト教の信者だけ

ではなく、一般人同士が命の福音を伝える時代

にきているようだ。なんとも天の父なる神様が、

福音も含めて肉体の命と同様に魂の命の救いが

拡大するように急がれているように思えてなら

ない。聖書が誕生してからすでに終末論は始ま

っているが、いつの日か慣れてくると、人間と

いうのは後回ししてしまう習性がある。

 

 

 

最近では福音伝道に対するのぼせはすっかり冷

め自身の紆余曲折の人生観から、霊的に盲目な

人へは語らない選択をしてきた。もっと言えば

価値観が違いすぎて合わないため、深い話にも

ならない。若い時の自分とは明らかに違う。死

ぬように召されている人もいるんだという認識

がある。人間は体験なしでは信用しない罪の性

質がある。言葉で響く人は一握りである。全員

が救われるようにはできていない。だから、今

回のワクチンに関して世界中の専門家の忠告に

耳を傾けられない人間は自分の肉体で体験を望

んでいる人なのだと思う。何事もなければラッ

キーで、何かが起こればそれも忠告を無視した

体験ができてラッキーなのだ。

 

 

 

キリスト教徒には肉体の死がこの世の終わりで

はないため、一時期の別れに過ぎず、聖書を知

る人には葬式の意味が違う。魂は決して死ぬこ

とがないため、この世が終わり、イエスが地上

に再臨した後、回復されたエデンの園で千年王

国の生活が始まる。栄光の肉体になっているた

め、飲み食いはするが、瞬間移動の肉体を持っ

ている。最初はギリシャ神話と同等の世界観を

信じられなかったが、聖書を学べば学ぶほど真

実味が増している。

そして、教会を見極めないと終末論に関するこ

とを教えられない牧師がいることも日本の実情

だ。それではキリスト教が中途半端で単に堅苦

しい教えで終わってしまう。聖書に支配される

生き方は窮屈で自由がない!と思っていたが真

に学べば、神に頼る生き方の方が楽チンで

あることにシフトしている。人間は、本質的に

過ちを犯す生き物であるからだ。最初のアダム

がサタンが入った蛇に騙された時からそのよう

に人間には本質を見抜けない弱さがある。

 

 

 

今は、静かに生きている。なるようになるのだ。

全ては天地万物を創造された神様がこの地上

を動かすように設計されている。ある動画では

これから日本国はベーシックインカム支給され

黄金時代を生きると語っていたが、聖書はそう

語っていない。福音を知らない人が平然と千年

王国を生きると主張している時代がきている。

そこに知らないに人々はある種の望みを抱いて

発信者に依存する。これこそ宗教のようだ。

人間が、人間の考えに傾くと必ず失敗する。

なぜか?人間とは所詮そのレベルなのだ。

 

 

 

覚醒するとか、新世界とか、目覚めるとかの

言葉も神の目から見れば「戯言」なのかも知れ

ない。霊的に目を覚ましている人間はそのよう

な羅列を好まない。そこは、聖書から学んで

慎み深く、誰に畏れを抱いて生きていくかを

間違えずに歩んでいきたいと思う。