ふと気づいたことがある。講演会で有名な鴨頭

義人氏の動画をふと覗いてみた。この方は数年

前から講演会界隈では影響力が絶大である。

話し方の学校設立や執筆活動もしていて、数年

前は随分と私も勇気を頂いていた。倫理法人会

というビジネスマン界隈でも有名な朝活をこの

方の講演会の動画で知って、一度地元の朝活に

参加したこともある。早朝6時スタートの武士

道的な朝活と、違和感を感じる雰囲気にそれ以

降は近づかなくなったが、その時の自分の直感

は正解だったと思っている。影響力のある人が

語る分野には生きる上でのヒントが隠されてい

る。発する表の言葉もちろんだが、なぜそのメ

ッセージを語るのかを考えている。そこに市場

価値があるから語る場合は、間違えなく

DS(デイープステート)寄りの思考である。

 

 

 

影響力のある作家やニューエッジ思想のスピ界

隈の作家・ビジネス界のウンチクを並べる人も

同じである。売れるための文言がつらつら並び

いかにも真似たらそのようになれる錯覚に陥る。

それは、耳障りのよい言葉や優しい慰めである

言葉が多い。特に宇宙論を持ち出すスピ界隈は

麻酔と変わらないようなボーッとさせる言葉で

思考力を奪う。今日の日本政府や日本医師会と

同じ仮面を被った人物であると私は思っている。

 

 

 

このような人たちの共通項は「富」への執着だ。

持っても、持っても決して満足することがない

富を追い求めて、次から次へ新表品や新企画を

披露していく。それに引き寄せられていくのも

同じような思考の持ち主(無意識DS)である。

このような生きることも困難になりかかってい

るワクチン騒動の件など、一言も触れないのだ。

あくまで中立だよ、というクリーンなイメージ

を維持しようとする。そこに私はある種の違和

感を感じてしまう。そうか、いつの時代も同じ。

しかし、いつの日か世の中が大どんでん返しに

なると予想している。これは単なる直感ではな

い。今、聖書の創世記の第24回目を学んでいる

ところであるが、信仰の父と呼ばれているアブ

ラムと弟の子ロトの人生において、同じことが

教えられている。富への執着があった甥のロト

の人生は、最終的には神への怒りに触れている。

 

 

 

物質的な祝福と霊的な祝福の両方を得たアブ

ラムの人生観から学ぶ知恵は現在も生きている。

そしてイスラエルの民から学ぶ教訓は大きい。

全治全能の神がなぜ、選びの民にユダヤ人を

選んだのか?そのことがようやく学んで3年目

で分かり始めてきた。霊的な品格が根底にある

と、想像主である真の神に対する畏怖の念が常

に心にある。そうすると、生き方の指針が根底

から変わるようだ。自分さえよかろうという考

えでは最終的に神の手が祝福から離れてしまう。

 

 

 

サウル王に然り、ダビデ王に然り、用いられた

器でさえも人生の落とし穴で絶望時代を過ごし

人間の儚い快楽や富の惑わしの結末の虚しさを

生きているうちに体験させられている。神は

どんな人間の心も見透かすお方である。そう心

したとき、謙遜な生き方を意識したいと思った。