21日の明け方メキシコから地元についたのですが、
義父にかしていた車が返ってなくておかしいなと思いました。
主人は旅行から帰宅したその日の夕方出勤(16時〜24時のシフト)でしたので、
車が必要でした。
(楽しかったけど)旅行疲れもあったし、
約束の日に車を返してくれてないことに
主人は少しイライラして出勤しました。
(義父はこれだけでなく 約束をすっぽかすことがよくある人なので…(^_^;)
翌日22日の朝(8時〜16時のシフト)、
主人から出勤時
義父がデング熱にかかったと連絡があったと。。
それで車を返せなかったって。
私はその時は、へーとしか思いませんでした。
だってたかが蚊が媒介する熱でしょ?って。
で、夕方主人が帰宅してご飯食べて
食休みしてたら
義母から電話がきて
ちょっと義父の容態がよくないので
急患受付に来たと。
血小板がすごい減ってると。
この日の時点で数値が75, 000に下がってました。
通常は10万-15万が最低数値だから、
下がりすぎじゃないか??
このままじゃヤバイんじゃないか??
…というムードでした。
この日私はデング熱が血小板減少の症状を出すものと知りました。
しかしこの時された処置は、
高い熱の出た普通の風邪に対するもののようでした(血液検査を見せたにも関わらず)。
それでも義父は帰り道はいつものおしゃべりをしてたので
あーこのまま回復するなって思いました。
しかし、
義父はその後も不調で苦しんでいたようです。
そして、3日後の血液検査の再検査で
血小板がさらに減りなんと12,000まで下がってました。
「血小板 1万」で色々調べて私はゾッとしました。命を脅かす状態だと。
↓参考
この日の朝には頭を少し掻いただけで出血したそう。
痛みでご飯も食べれなくなってました。
この日再び、急患受付に駆け込み
さすがに病院側もまともな対応してくれました。。
義母の傍にいてあげるために
20:20 私たちも病院に。
義父は処置(輸液)中。
輸液して少し持ち直したら、
隣町の施設の大きい病院へ搬送するということです。
待ってる間、義母は泣いてました(;_;)
悲しい、悔しいって。
この日は義父の死を覚悟しました…。
実はすでに危篤なんじゃないかと何度も思いました。
待ちに待つこと3時間…
00:20 搬送開始。義父の様子は見れませんでした。。
最初は未成年の場合しか家族同乗不可と言われてましたが、
なんとか義母は乗せてもらいました。
01:10 救急車が転院先に到着。sala de observación へ。
私と主人は帰宅。二人ともぐったり。
やっとみてくれるとこに搬送され一安心でしたが。
翌26日
07:00義母から連絡あり、大丈夫だよ落ち着いてるよって。
そして、面会時間など教えてもらいました。
08:00 家を出て病院へ。私と主人とたまたま帰省していた義弟1と。
09:00 病院着。二人部屋。そこに入れる&つきそえるのは一人まで。
義弟1が残ることに。
(面会時間は別にありその時以外は一人しか入れない)
私と主人は義母は帰路に。
義母によると、義父はとても落ち着いてて、ゼリーなどの食事も食べれたようです。
引き続き輸液(suero)、安静。
義母を送り届け、私達は
朝ごはんたべて、リフォームの様子をさっと見て帰宅。




結果として、4日間入院しました。
血小板の数値は
入院時は12,000(搬送前に輸液したからもう少し増えてたかも)でしたが、
19,000→37,000→退院時には55,000と上がってきました。
義父は典型的なマチスモ(男尊女卑)のメキシコ男性なので、
義母は昔から泣かされました。
酒癖も悪いし、人の言うことに耳を貸さないこともある。
外に女作ってその人と歩いてるとこを義弟2は見て泣いたりしました。
みんなこの方に振り回され、うんざりしたこと何回もあります。
なのにこうして病に倒れて、
みんな不安で苦しみ、
入院となったら交代で面倒見れるよう体制ととのえて…
苦労させられても夫は夫なんだと、
毒親でも親は親なんだなと、
私は家族の不思議さを思いました。
義父は退院しましたがまだフラフラしてますので
療養中です。
義父はデング熱をベラクルスのポサリカというとこで
もらってきてしまったみたい。
そこは義父の故郷なのですが自然いっぱい蚊もいっぱい(;´д`)で、
そこの住んでる親戚みんなデング熱にかかったとか。。。( ̄◇ ̄;)
死者もでてるデング熱、みなさんもお気をつけくださいね。。