子どもの頃に観た時はおばさんが酷い人だと思ったけれど、大人になってから観たら清太が悪いと思った。
そんな意見をSNSで何度も目にした。
私は今大人だけれど、両方の気持ちが理解できるような気がした。
ただ、清太と節子が異なる結末を迎えるための分岐点は何度もあったように思う。
以下、ストーリーを順に見ていきたい。
物語の冒頭、駅で生き倒れている清太を「汚い」と言う大人たちの中、何も言わずにただ清太の近くにおにぎりを置いてくれる人がいる。
皆が余裕が無い時代でも、可能な範囲で清太に優しさを向けてくれる大人たちもいた。
しかし、清太はその優しさを上手く受け取ることが出来なかった。
空襲の所為で包帯ぐるぐる巻きになっている母親に会いに行っている間、節子の面倒を見てくれた女性は近所の人だと思う。
節子を少しの間預かってくれたことに対しても、乾パンを取りに行ってくれたことに対しても、清太はお礼を言っていない。
学校の2階に皆が集まっているから一緒に行こうという誘いも断っている。
母の命が非常事態とはいえ、清太は感謝を伝えることも大人を頼ることも不得意な子だと分かる。
おばさんの家に身を寄せた翌日、清太は焼けて無くなった家の地面から食料を掘り出す。
これは空襲前に埋めた大切な食料なのだけれど、清太はドロップス以外の食料を全ておばさんに渡しているように見える。
例えば梅干しなんかは長持ちするのだから自分で隠し持っていても良さそうだけれど、清太は運ぶ道中一粒食べただけ。
清太は無愛想だけれど、(当時としては生きるために必要な気がする)ずる賢さは無い。
少しばかり裕福な家庭で育ったから世間知らずな、ただの少年。
一方、食料に関しておばさんも大切な描写がある。
亡き母の着物をお米にした際、おばさんは清太に「貴方が持っていなさい」とその大半を渡している。
清太と節子は居候であり普段から一緒に食事をとっているのだから、お米はおばさんが全て管理して良いようにも思う。
そしてその日の晩、おばさんは清太と節子に白飯を炊いている。
異なる日に清太と節子のおかわりは雑炊の上澄みで、他の人にはきちんと鍋の底から具を掬っている場面があるけれど、それは「お国のために働いているから」。
時代背景を考えれば、これは区別であって差別では無いだろう。
残念なのは、お米を清太に持たせてしまったがために、お米を出さず雑炊に文句を言う清太に対して、ますます不満が溜まってしまったこと。
「食事は別々に」と言われた清太は、中途半端にお米を持っていた所為で余計意地を張ってしまった面もあるように思う。
母の着物のおかげで手に入ったお米だからとおばさんが“正しい行い”をした結果で誰が悪い訳でもないけれど、世間知らずの清太は本当に自分たちで出来ると思ってしまった。
おばさんは、謝ってほしかっただけなのに。
空襲の際節子と二人で毎回横穴に逃げる清太に「貴方の年頃なら隣組の消火活動に参加する」というのは、消火活動に参加しなさいと言っただけ。
「命が惜しければ横穴に住んだら良いのに」は余計な一言だけど、ただの嫌味であって本心では無い。
清太と節子がリアカーで荷物を引いて家を出ていく際、おばさんは一度家に入ろうとしてもう一度二人の背中に視線を送る。
出て行くと言い出した清太を引き止める義理も余裕も無いけれど、あれは邪魔者が居なくなって清々したという様子には見えなかった。
清太が食料を買おうとした時、それを断ったおじさんは「おばさんの所に戻った方が良い」と言っている。
きっとあのおばさんなら、清太が謝れば再度家に置いてくれたと思う。
野菜を盗んで農家のおじさんからボコボコに殴られても、その直後警察官に優しくされても、清太はおばさんのところに戻らなかった。
たくさんお金があっても食料を購入できる場所も知らず(当時は闇市があったらしいが、この映画には登場しない)、戦争に負けたことも知らなかった。
これは反戦映画では無いというのは有名な話である。
自分の殻に閉じこもる現代(映画公開時の現代)の若者に対するメッセージらしい。
清太は人との交流を断ち、節子と二人で生きていこうとした。
でも、誰とも関わらずに生きることなんて出来ない。