ハイハイからヨチヨチ、幼稚園に入るまでもうすぐ。

 

可愛いさかりの時期の子育てが最高に辛かった。順調に育ってる証の「魔の二歳児」「イヤイヤ期」、そんな半分微笑ましい言葉を心から呪ってました。

 

ムスメと外出が嫌になって引きこもり寸前とか色々ありましたが、何が一番辛かったか?それはコミュニケーションがなかったこと。

 

母親なのに子供がして欲しいことがわからない。

母と子の会話どころか、母子の繋がりもまるで存在していない。

 

9ヶ月一緒にいて、お腹を痛めて産んだ子なのにー。

 

お互い違うことして苛立って、最後は2人して大きな声で泣いたこと数えきれず。オットーに「ムスメと話がしたい。ムスメを知りたい。誰にでも反応が同じで薄いから『ママ』がいなくてもいい。こんな私より、他のママ、里親、施設だったらムスメは普通に育ってずっと幸せだった。自分は親になるのは向いてない、失格。もう疲れた」と怒り、罪悪を感じ、悲しくては泣いてました。毎週です。

 

インターネットで発達障害を調べたり掲示板を見ても、『まだ喋れるだけましやんか』とか『預けられるからまだましやんけ。こっちはそんなもん誰もいなくて1人なんや。いっかい24/7で子育てしてみろや』と卑屈に。療育士との個別相談も積極的にしていた時期もありましたが、一瞬楽になるだけで現実は変わらない。療育士は経験豊富で軽く言う部分があってわかってもらない(気がする)ことが多くなってもういいわって……ノイローゼ状態でした。

 

何も言えない、わからないムスメをどこか遠い町に置き去りにすれば…なんて本気で考えたこともあります。ムスメと昔に訪れたいくつかの町に電車で出かける『妄想』を何度も繰り返し、そこにムスメを"捨てる"。いつ行こうか、警察 なんか怖くない、捕まったほうが楽になれるって

 

ムスメより小さな子がママと手を繋いで一緒に歩いていたり、隣に座って楽しそうに喋ってたり、他の子と仲良く砂遊びしてたり。当時、私達母子にはそんなものはなかったので、そういう光景を見て涙がじわり。どこにいても感情が抑えきれませんでした。

 

でも、辛いのは私『ママ』じゃありませんよ。

 

言葉の発達はもちろん、感情、手足の体感、自我、すべてが未発達だったムスメ。何が好きで嫌いで、どうしたいのか。外に向かって表現しようもなかったんです。する手段も未発達で、できなかった。

 

 

子育てに奮闘というより子育ては死闘。

 

サリバン先生に出会う前のヘレン・ケラーみたいだったムスメも今はもう7歳。

 

紆余曲折、試行錯誤の連続の連続。

 

たくさんのことができるようになりました。たくさんのことが言えるようになりました。工作が上手くなったやんと驚き、ちょっとうるさいって言ってしまうほど。歌とダンスも好き。

 

Danke(ありがとう)

Bitte(プリーズ)

Entschuldigung(ごめんなさい)

Gesundheit!(くしゃみをした時に言う『お大事に!』)

 

おはようからおやすみ。療育幼稚園でも「挨拶できる(行儀の良い)子」、ムスメを知る方々からは「Fröhliches kind(明るい子)」。誰もがムスメが好き。

 

ネガティブ、否定的、人嫌いなオットーと私に全く似ることもなく、なんでそんなに笑うのというくらい笑い、朗らかに育ってくれました。私達夫婦には恐れ多くもったいない、まさに奇跡の子。

 

少し落ち込んでると「Mama, bist du glücklich?(ママ、幸せ?)」と言って頬にチュウしてくれる(そのあとベロンと舐められよだれ臭くなる)。

 

目をそらし、怒ろうが褒めようが何言ってもヘラッと笑ってほとんど人に反応しなかったのが、

 

Mama, ich hab dich lieb!(ママ、大好き!)

 

と言って抱きしめてくれる(体当たりに近い)。療育幼稚園のサマーフェスタでママと離れて泣きそうな小さな男の子の手を握って立っていた。

 

人を思いやれる子。

 

『パパ、ママ嫌い!』『◯◯ちゃん/くんなんか嫌い』なんてこと言ったことがない、悪口は絶対に言わない子。

 

これ以上に幸せなことありません。今度は嬉しくて涙がじわり。

 

今でも「キーッ、言うこときけえええ!ごるあぁっー」ってなりますが、アレコレ文句なり、蹴っ飛ばしたりして表現してくれるだけでどれだけ楽になったことか。

 

これからもみんなが笑顔になれる朗らかな子でいてほしい。ママはムスメちゃんのことが大が数え切れないほど大好きです。

 

これから経験する偏見などの世知辛さを知っても、変わらずその明るさでいてほしい。そのためにパパとママ、全力で守って努力するから。