幼稚園、療育センター、そして加配保育士の報告書を持って『療育幼稚園』の園長さんを訪問。夏休みまであと数ヶ月もなかったでしょうか(ドイツの新入学・新入園は夏休み明けの8月初旬)。

 

 「今年(2016年)は定員以上の入園希望者数」

 

そう言われムスメに希望があるのか、と不安になりました。ムスメの状況について少し話をしてから、園長さんは3つの報告書に目を通しました。報告書を読んだ園長さんに早急性が必要とわかってもらえたようで、最初の話し合いの結果は上々でした。

 

それからムスメを連れて2回めの話し合い。何とムスメは『受け入れ予定リスト』の上位に入れられ、入園できる見込みが。

話し合いの目的は、レーベンスヒルフェがムスメの発達状況と卒園後の目標(自立させていく等)の説明文書を作成することでした。あとはその文書を読んだレーベンスヒルフェの「パトロン」である社会福祉課がムスメの入園を許可するだけで、入園が決定すると言われました。

 

担当者の方は療育幼稚園の保育士さんでした。ムスメが部屋にあるオモチャや本に全く興味もなく室内をうろうろしても、物を触っていようがものすごく余裕。むしろそれを認めてくれてるようで気が楽でした。それにムスメを実際に見てもらい、入園の重要性がわかってもらえたような。

 

そしてそのあと、『療育幼稚園』から入園許可の手紙。

 

よかった、ほんとによかった!

 

これも一重に療育センター、レーベンスヒルフェ、そして加配保育士さんの連携した協力があったからこそ、定員以上の希望者数なのにすんなりと短期間で入園が決まりました。

 

入園が決まった夏休み前 ー 。

 

入園許可のことを幼稚園よりも先に加配保育士さんに話しました。『手一杯でムスメに集中できない』幼稚園より、加配保育士さんのほうがムスメを考えていてくれたから。

 

あとで言うつもりだったのが先に加配保育士さんが幼稚園に話してしまいましたが、マズイなんて思ってません。「療育幼稚園(そっち)がムスメのためにいい」なんてさほど残念にも思っていないように言われ、最後の日まで淡々と通園。最後の日は幼稚園の関係者にお礼を言ってからさっさとSAYONARA。後日、用事で幼稚園に行ったらムスメのかわりにもう違う子が入ってました。

 

他の親には何も言わず。幼稚園も幼稚園ですが、初日から挨拶をしない親ばかり。自分の子がムスメと同じ組で何回も会っているにもかかわずやっぱりしてこない。でも唯一、その幼稚園が良かったと言えるのは、そんな親を持つ子供たちはムスメには寛容で、いじめずに仲良くしてくれたこと。

 

お別れ会もしてもらいましたがムスメもとくに悲しむこともない。よく遊んでいた子の名前を口にしてましたが、しばらくすると言わなくなりました。

 

入園許可がおりたあと、ムスメに毎日毎日『夏休みが終わったら違う幼稚園に行くよ』と言い続けてました。『夏休み』の意味はあまりわかっていませんでしたが、本人はそれでも幼稚園を変わることをわかっていたようです。

普段からちょっとしたイベントがあるときは数日から1週間前から毎日言っておくと、わかってくれるのです。

 

夏休みが始まるギリギリの期日に入園手続きを済ませ、そして夏休み。3週間の長い夏休みが終わり、ついに『療育幼稚園』の入園日になりました。

 

それではまた。