2011年5月11日(火) 曇りのち雨



久々にブログを書く気になったので・・・。


夜寝る時、寒くもなく暑くもない、いわゆる丁度いい気候になった。


夏はもうすぐですな。



昨日、商工会青年部員として最後の務めをしてきました。


2年間、支部代表として理事のお役目を頂き従事してきた愛知県商工会青年部連合会の総会と指導者講習会、そして総会で承認された、新理事との親睦交流会に参加してきました。


2年という短い時間での任務は、短い中でも充実した、そして凝縮された中身の濃い理事活動でした。



任務のフローは、全国青年部連合会で取り決められた青年部活動を、各県から各支部へ、各地青年部へ、そして全青年部員に同じ情報を伝えること・・・。



青年部活動は、全国各地で展開されています。


全国の青年部が同じ目的とルールを持ち、それぞれの地域でそれぞれの知恵で活動をする。



地域の将来を想い、地域の発展を願い、地域振興と地域貢献により活性化を図る・・・。




商工会青年部でビジネスを・・・自社のためになることをしよう・・・自分のためにやろう・・・



実は、そんなものは商工会青年部の目的には無い。




それを求めるのならば、違う団体で学びを受けるべき・・・もっと言うと、別の団体のほうが成長を成し遂げるだろう。


しかし、商工会青年部はそんな自己中心的なヤツはいない。



誰もが、地域のために何かしよう、地域の将来のために今やるべきことをしたい・・・



そんな想いの部員が、我が町にはたくさんいます。




地域を元気な街にするには、想像力と行動力を兼ね備えてる商工会青年部の活動から達成するものだと思う。




後輩たちが開いてくれた『卒業生を送る会』でも、述べたこと・・・。



地域の商売人が、夜、飲み屋でお酒を飲み、仲間と語り、夢や悩みを打ち明け、将来をみてる街ってすごい元気な街だと思う。


時間とお金を使って、仕事や家族に負担を与えてまで取り組む魅力・・・それが、商工会青年部にはあります。




僕たちは、その活気ある元気な街で商売を営んでいます。



良質の土壌でおいしい野菜ができる。



それと同じで、活性されたフィールドで、最良のビジネスができるのです。



そしてもうひとつ述べました。



商工会青年部の活動は、『自分の子供のため』 と思い、取り組んで下さい。



僕たちが子供の頃も、父親たちの世代の青年部が、この街に元気を与えてくれていたはずです。



僕たちが子供の頃、毎年開催されるふるさとまつりや産業まつりが楽しみでした。



それを、自分の子供たちのためにやり、父親たちが明るい街づくりをしていく。



そして、子供たちが大人になったときに、青年部としてまた街を明るくしてくれる・・・。




今、僕たちが額に汗をかいたものは、すべてが自分の財産となって必ず戻ってきます。


結果的に青年部活動って、皆、自分のためになってきます。





『明るい活気ある街で商売をする』





これが、商工会青年部活動の原点ではないでしょうか?




持論を書き記しましたが、12年間商工会青年部にお世話になり、先輩方に育てて頂き、後輩たちと語り合い、同年のメンバーに恵まれてこれまで送ってこれた青年部でしたが、



なんとかこれで卒業できそうです。




長い間、お世話になりました。



そして、今後も我がまち を みんなで元気にしていきましょう!




11月18日(木) 晴れ 風は強し



毎晩のように、様々な団体での会議や委員会が開かれ


ゆっくり家でくつろぐ日がほとんどない・・・。


でも、充実してる。


『貧乏暇なし』 とはこのことを言うんだろうな。




この一年間、システム手帳の夜のマスは、ほぼ真っ黒で来た。


恐らく、4月までは真っ黒だろう・・・。


しごともしつつ、自己研鑽や啓発、地域奉仕や地域活動に明け暮れる。


これも皆、自分の為に自らを追い込む。





40歳までにできることは、なんでもやろう、なんでも身につけよう


40歳までという限られた期間で、何を学び、何を吸収し、どれだけ経営者としての資質を高めれるか・・・


そんなことを思い、願い、トレーニングしてきた。




それには、ちゃんと意味があって ようやくわかるようになれた。


40歳までは、毎日が勉強です。まだまだまだまだ出来が悪いんです。


それは、自分の限界を飛躍させ、これだけしかできなかった自分を ここまでできる自分にするために、目に入る、耳に入るすべてが学びの対象なのです。




知能や体力が続く40歳までの『若さ』が、それを成し遂げれることができる。


40歳までは、『教えて』って、言えるのです。


40歳過ぎた経営者や大人は、素直にその言葉を言えなくなってしまいます。




『人生一生勉強』とよく聞きます。




でも、正式には その『一生』のうち、大部分を占めるのは、産まれてからの40年のような気がします。


『鉄は熱いうちに打て』とも言います。


40歳までは、まだまだ大きく変形できるはず・・・。




40歳まで勉強したものを、60歳まで成果を生み、その後は80歳まで人生を楽しもう。




そんな人生って、いいな と思う。



2010年11月15日(月) 曇時々晴れ



風が冷たくなった・・・。


毎夜、部屋では、ヒーターをつけるようになった。


寒いナ~





今日は、龍馬の誕生日




そして、暗殺された日・・・。




近江屋の2階で、風邪をひいて体調が優れず、火鉢に手をかざして暖をとっていた龍馬と中岡慎太郎。


寒いから軍鶏鍋をしようと峯吉が買い物に出たあと、番頭の藤吉を斬りつけ龍馬と中岡がいる2階へ駆け上がった暗殺者たち。





もう少しで、思い描いた平和な日本を見ることができたのに・・・。




33歳でこの世を去った・・・





まだ、やりたいことあっただろうな。





無念だろうな。





藤吉が斬られた物音に感づいて、斬りあいをする準備ができたらどうなっていただろう。


龍馬たちの居た近江屋の部屋は天井が低く、暗殺者の刀に比べ、龍馬の長い刀は不利だっただろうとも言われるが、それでも応戦できただろうし、命はとられなかったかも。




新時代の礎を築きあげた功労者を、時代の反抗者として扱われ、世間では追われる立場に・・・。





『自由』 と 『平和』 と 『愛』 を追い求め続けた坂本龍馬。





現代にも、同じことを追い求めていた人がいた・・・。




校内暴力で荒れ狂う時代の中、信用できない大人たちと理不尽な体罰を繰り返す教師たちに、




腐った社会で埋もれるなと、若者たちの代弁者となり唄い続けたロックシンガー尾崎 豊がいる。





若者が心にしまい込みふさぎ込んでいる魂をストレートに表現し、全身全霊で不満な社会に向け自由と平和と愛を歌い続けていた。




勿論、私も共鳴した一人です。





坂本龍馬と尾崎豊・・・。






共通しているのは、




自由と平和を求めた信念




若者の代弁者 




そして、駆け抜けていった短い人生・・・。





どちらかのファンの人が読んだら、異論があるかもしれませんが、この二人を崇拝しているほどの大ファンなのでお許し願います。