わたしの
旦那さんの祖母
やーちゃん。

実は、やーちゃんとわたし。
わたしが勤めていた
病院の
栄養士と、患者さんの奥さんと
いう関係でした。

やーちゃんの旦那さんは
(祖父さん)
糖尿病の進行で
わたしの勤める小さな病院に
長期入院していて。

やーちゃんは、
旦那さんを
とうちゃん とうちゃんって
毎日 顔を見てお世話して、
ほぼ住み込むみたいに、過ごしていました。

片耳の聴力がなかったのですが、
旦那さんが、やーちゃんの悪口を
言うと それは聴こえてるの。
それを、わたしと祖父さんで
笑ったこともあります。
旦那さんに聞くと、祖父さんは、怖いヒトで、
笑うなんて信じられないそうですが、、
晩年だったから、優しくなったのかもです。。
そういう訳で、
やーちゃんは、いつも笑ってるイメージしかなくて、、

で、やーちゃんが付き添いって事もあり、
やーちゃんに栄養指導をした事もあり、、

なので、祖父さんより、
やーちゃんのが、わたしの記憶に鮮明に残ってるんだけど、、
最期、祖父さんは、
病院で亡くなったんだけど、、

その時に、わたしの大好きな義母さんが
泣きじゃくっていた事、、病院の裏口で霊柩車に運ばれたご遺体の
祖父さんが、とにかく長身だった事は
印象に残っています。

栄養相談とかに
やーちゃんが来たときは、
やーちゃんは、わたしに、ウチの孫と
結婚しない?それか、誰かいい子いない?
とか、冗談で口説かれたことがあるのですが、、

そのとき、ウチの旦那さんは、まだ、高校生でして、、
アウトオブ眼中でございます。。
ので、笑ってごまかしの世界でした。

そんなこんなで、、
この病院を介して、、
旦那さんを見た事もあるだろうし、、

何年か前に亡くなった
旦那さんの父方の祖母
サーヤンも、、
わたしが勤めていた病院の患者さんで、、
見かけたことはあったのかも、
しれないのです。。

旦那さんに至っては、興味もないから、
気にしてもないけど、、
わたしの住んでたアパートの近くの本屋さんに高校生の旦那さんはよく、立ち寄ったりしていたらしく、、
勿論 わたしも 家の近くの本屋には、
ホントに足しげく 通っていたので
あっている可能性は、大 なのですが、、

ヒトを意識する してないで
巡り合わせって変わるもので、、
わたしにとっての20代前半は
やーちゃんと、
やーちゃんの旦那さんの死と、
やーちゃんの娘の義母さんが泣く姿と、、
何故か うっすらですが、、
アフロにしてた
義弟がいたな、、な
印象くらいなのです。

なので、、ここ何年か
旦那さんと別居しているのもあり
随分
やーちゃんには会えてなかったけど、、
わたしの中のやーちゃんは
笑顔で、、サーヤンよりも印象深い。。

そして、、いまは、義母さんが
心配。
ウチの旦那さんがいうには、
やーちゃんの息子たちは、
お互いに仲が悪く、
やーちゃんは、晩年ずっと独り暮らしの選択をしていて、、
痴呆になったので、
施設に入れられたみたいで。。

それは、娘である義母さんに
あまり相談は無かったのだと。

やーちゃんは、やっぱり娘の義母さんが
好きだっただろうし、、
複雑だったんだろうなぁ。

けれど何よりお骨になって、、
空気になった、やーちゃんの声がもう、
聞こえないこと、、義母さんは、堪えてるんじゃないかな。

ウチの旦那さんは、
きょう やーちゃんとお別れしてきたんだけど、
ホントは、涙脆くもなく、、
そういう場面では愚弟のが涙脆いらしい。

そこら辺は、ドライなの。
ドライというか、、
色々辛過ぎて、捨てると決めた感情が、涙だと
わたしは思っています。
なので、余計に泣けない彼が可哀想でもある。。

寂しいって独り暮らししてた
やーちゃんが、
旦那さんの肩先や、
義母さんの肩先に
触れてくれたら
良いなぁと、
いまは、そう思います。
最期、やーちゃんに、義母さんも含めて、
会えなかったんだけど、、
それが悔しくもあるけど、、

わたしも、、晩年なかなか会いに行けず、、ごめんね、やーちゃん。
やーちゃん、ダイスキでした。
晩年、、花火大会も、なかなか一緒に
見れなくてごめんなさい。

やーちゃんとこにお邪魔したとき、
沢山のお魚 貰ったのいま、
思い出したよ。

いつも、思ってくれてありがとう。

寂しい風が吹いてる気がします。

あと、何年か、何十年後かに、
やーちゃんに会いに行くのを待っててね。

年齢で言うと、旦那さんより
先にやーちゃんに会いに行くから。

たくさん 叱ってくれていいから。

もし、旦那さんと縁が切れていても
やーちゃんにはきっと会いに行くよ。