きょう、
専門学校の同級生が
なくなった。
わたしの行った専門学校って、
寮を含めて
特殊で。
寮は、昭和大空襲とかの時に建てられたのか、
くらい、古く、
仕切りの無い5つの部屋で形成されていて。
一部屋ごとに、ボロいドアノブがある、
そんな2階建ての建物。。
そして、
ひとりのスペースが、1.5畳。
布団を4人が敷いたら、もう足の踏み場がない。
で、机も規程があり、座り机の小さなものと
されていたから、ホントに、
平成の学生なのに、昭和の苦学生みたいな寮にいたの。
で、電気スタンド1人1台って決まり。。
寮に入ったコは、その狭さとか分からないので、
その日のうちに2年生とかの先輩に連れられて、
近くのダイ〇〇デパートに連れてかれるシステムで。
同じ学校の違う寮のコたちとも、そのダイ〇〇デパートでばったり合うシステムでした笑
そんなヘンテコ寮は、
当番制で、寮番があり、当番の日の3食を1人が作るシステム。
お掃除も担当。。
切ないよ。トイレも一階と二階にあるし。。
そして、
食事の
材料は、八百屋さんに行って 予算を見て、発注して届けてもらう。
ひとりで12人分くらい作ったかな??
これも、食事がいらない人は、ノートに名前書く事になってた。
で、たしか、その日のメニューも、寮番が、書くことになっていて、自分の料理の人気も、分かるシステム笑
とにかく、3密だらけの、プライベートが
ほぼない、和式のトイレが6つしかなく、
洗面台もでっかいのが2つしかなく、、
シャワーは、寮の外に小屋があって、
1つの寮で、2ブース。
3つの寮のコが、シャワーカーテンで仕切られたその場所で、
1人10分って決められて入浴してました。
その日のシャワー予約を10分刻みにノートに書いて
自分がシャワー浴びたら、
シャワー空いたよーって次の人に回すシステム笑
番犬にドーベルマンが3頭いたの

そんな、寮だったから、18歳で放り出された私たちは、身を寄せ合うように、暮らしていて、
学科関係なく仲良しで、
ちょっと普通の友達とは、違う結びつきを持っていたりする。
その一緒の寮で、一番最初に
仲良くなった仲間が、
なくなったと、寮の友達から
LINE電話が来た、、。
最初は、コロナか、癌か、
と、思ったんだけど、、
ALSだったみたいだ。
その友達は、血液の病気と、
1年くらいしか記憶を留めておけない、
っていうのは、専門学校在籍当時にも、
ボソッと言ってたの。
それを聞いてもべつに
付き合いが変わるわけじゃないし、、
あっけらかんとしたもので。。
ただ そこから彼女、
煙草を吸いだしたから、
やめなよ とは、お母さんのように言ってた記憶はある。
体の異変があるなら、尚更、マイナス要素にしかならないから。。
ともかく、彼女は、
頑固者だし、ヒトを悲しませたり、
同情されるのが 嫌だったんだと思う。
彼女きっかけで、彼氏が出来て、
その彼氏と結婚したコが、
ボロ泣きで、彼女が死んじゃった。
って LINE電話してきたんだけど、、
きっと 彼女は、自分の見せたくない姿は、
見せたくなかっただろうし、
フランクに人生見据えたように、
いまも、
泣いてんじゃねぇよ、ばーか
って空で言ってると思う。
ただ、いまは、彼女の
長野訛りが懐かしい。
これ、そうだよ。
が、
彼女の長野の訛りでは
これ、そうだだ。
に、なる。
その愛おしい響きが好きだったんだけど、、
また、会える日まで
聞けないのは
すこし、口惜しい。
いつか、また、たくさんの
お土産話を用意して行くから、
私たちのオンボロ寮のお話と
その後の人生のお話を、
あちらに行ったら聞いて欲しい。
きょうは、飲めないお酒を
すこし頂いて、
わたしなりに彼女を送ろうと思っています。
ぼろぼろに泣けはしないけど
その分
深呼吸して
しっかり生きていきたいなと思います。