音楽と記憶 | 青空アロマテラピー!

青空アロマテラピー!

ココロ、感じるままに空に投げたら、きっと輝く虹になるっ

この瞬間に感じている思いに音楽を重ねることも、

もう終わってしまった記憶の中にあることを
音楽によって思い出すことも、ありますよね。


こんにちは!

『青空アロマテラピー!』 の井上ミウ です。



20年前のこの夏の日、

私はひとつの曲によって、心の中に風が吹いて

そして、心が清らかになった、そんな体験をしました。



そのことを、今日は書いておきたいのです。





20年前の夏の日、私は病院にいました。


ここでも度々書いていますが、

私には3人の子供がいて、1番上の子供には

重い障害があります。



4月に生まれた彼は、新生児集中治療室に入院したまま。




6月には、国立小児病院(当時)に転院して
人工肛門を作る手術を受けました。

 

その頃、彼は、
小さい体に人工呼吸器の管を入れ、
チューブの固定のために頭も顔もテープで覆われ
モニターのための電極がいくつもつけられ、
点滴のために手足は包帯で巻かれて過ごしていました。


私は、1日に20分だけ、看護師さんに介助のもと、
抱っこさせてもらうために病院に通っていました。


今でこそ、私の両親(高齢ですが)も含め、
家族みんなで彼を支えていますが、

あの頃はまだ足並みが揃わず、
母からは愛情があるこその言葉ですが


延命はやめて自然にしてやりなさい、
また子供は産めるから


と言われ、

夫は、子供のことは一生懸命考えてくれるけれど、
やはり支えるのでいっぱいいっぱいで、
私の不安な気持ちを聞く余裕を失っていました。


医師と看護師以外に話す人もなく、
経験も知識もないまま、様々な決断をしなければならず
私は本当に途方にくれていました。


手術室へ入る時、
呼吸器を外してマスクで酸素吸入していましたので
久しぶりに赤ちゃんの顔を見ました。


これまで、
私はまだ一度も赤ちゃんの頬に
頬ずりしたことがありませんでした。


看護師さんにお願いして
手術室のドアの前で、マスクを外してもらい、
小さな頬に触れました。


行っておいでね。
そして、無事に帰って来て。




ドアが閉まりました。



ひとりで家族待機室にいました。


長い時間でした。

長く長く感じた時間でした。



午前中の手術は他にいないのか、待機室には私ひとり。

空調の音だけが響いています。


ソファの他には、簡単なローテーブル。


そのテーブルの下の棚には聖書が置かれていました。


何のためにあるのでしょう、

私にはもう神様は何の答えを与えてはくれない、

命について、

私が決断をしなければならないことばかり。

生も死も、もう私には祈れませんでした。



私は座って、自分の足先を見つめていました。


ずっと気がつかなかったけれど、

靴は古びていて、エナメルが剥げていました。



ああ、この靴は古かったんだ

ただ、そんなことを思っていました。



冷房がとても寒くて、じっとソファにいると

凍えてしまいそうで

廊下に出て窓際の手すりに足を乗せて
バーレッスンの真似事をしてみました。


それでも寒くて、寒くて、たった1人の家族の私が
そこを離れるわけにもいかず、
温かい飲み物を買いに行けずに4時間待ちました。




手術が終わり、

集中治療室に行くように指示され、



そこへ行くと、

以前に増してぐるぐる巻きの、

腹腔内の出血を排出するための管や

切ったばかりの腸管(人工肛門)や

何本もの管の入った、見知らぬ姿をした彼が

小さな治療用のベッドに横たわっていました。




一瞬私は血が引いて、倒れてしまいました。



それからも、病院の面会に通います。


彼に触れるのが怖かった。

触れると、私は全身が針で刺されるように痛かった。

それは私の心の痛みなのだけど。



動き始めると危険なので筋弛緩剤を点滴にフラッシュする時も

身が引きちぎられるようだった。




そんなある日、

病院の食堂へ食事に行きました。


いつもは目の前のコンビニで何か買って

廊下の椅子に座って食べていたのですけれど。



古い食堂は冷房が効かないのか、少し暑くて、
少しホッとしました。



食堂には何人も客がいて、話し声や食器の音がしました。


ふと、

賑やかな音の向こうに、小さく音楽が聞こえます。


スローな曲で、リフレインには


dance alone


と聞こえます。



急に、



心が動き出しました。



途切れ途切れに聞こえるだけですから、

私は歌に私の思いを込めて言葉を拾います。




dance alone

孤独のまま踊る。




私は踊っている。




私は虚空を抱いて、たったひとりで踊っているのだ。



食堂のイスに腰掛けたまま、



私の心は踊っていました。



腕の中は空っぽのまま、


抱く子供もなく


話す夫もなく


私はでも、踊っているのだ、と。



心の中に風が吹いて、

私は清められてしまいました。



7月の光は眩しく外を照らしていました。




私は急いでカウンターに向かい、

この曲が誰の何て曲なのか、聞きました。

店員の女の子はCDを渡してくれました。



それがこの曲です。







随分前に出たアルバム。

収録されているヒット曲はよく耳にしていましたが、
持っていないアルバムでした。
(またポリスの方が好きだったのでね)


帰りに買って家で聞いてみると、

食堂で聞いたのとは印象が違って、

あの時、あの場所で聞いた(耳で拾った)方が

とても心にマッチしていたけれど。



けれど、一瞬の音楽が、感情にカタチを与えてくれて

私の心は救われました。




私は踊り続けよう。

行きているということは、踊ることだから。





そう思ったのです。