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東京都知事選挙があと一週間になりました。
東京都知事選挙は、国会議員と一国の首相の威厳が崩れ去ってしまった現状では、立て直しを図るための好機にできるか、重要な意味合いを持ってきました。
10月「第三の核〇弾」を抑止できる「新東京都知事」は | aozora-gogoのブログ (ameblo.jp)
前回の投稿では、田母神さんの存在感、発信内容を高く評価する内容になりましたが、筆者の個人的支持傾向としては、今回の都知事選挙に至るまでは「田母神さん」支持、投票をする立場ではありませんでした。
因みに、防衛省退職に追い込まれた時の記者会見。この頃は、新聞記事で見た記憶がありますが、印象は「尖った強気の人」でした。
「一生懸命考えた結果です。それは歴史認識の問題があるんではないかなという結論に達しました。」
10年前の東京都知事選挙でも、「田母神さん」が知名度を増してきましたが、支持・投票はしませんでした。「舛添要一さん」に投票したと思います。
そして、今回の東京都知事選挙。
安倍さんの10年間の終わりの時期に始まり菅さんに引き継がれ、コロナ、ワクチンその他今日に至るまでの混乱と強権の政治。「河野太郎」よりましかと思われた「キシダ氏」だったが。戦後はもちろん、明治以降で最低最悪の総理になるとまでは予想しませんでした。なにしろ「日本」がなくなるかどうかの瀬戸際ですから。もう少し穏健でスマートな総理をしてくれるイメージを持った人が多かったと思います。
強烈な創業者一人によって勃興するように、愚かな経営者によって一代で倒れることもあるわけで、今の「日本丸」は資質のない船長によって、危機的状況に陥っている、そう見ている人が相当数でしょう。
こちらの動画では、その空気感と、最後の頼みの綱として「田母神さん」の存在感を表現しています。
今の日本もう終わっちゃってるのと一緒なんで、日本をちゃんと変えてくれるような人を国民は選ぶ義務があると思うんですね。石原慎太郎さんが
「俺と同じことをできるのは田母神さんしかいない」
って言ったんですよね。
「このまんまだと本当に日本じゃなくて日本が中国になっちゃうよ」っていう話はよくしてたんですね。
やっぱもう本当に強い人がリーダーシップ取ってくんないと、もう日本は本当に終わっちゃうと思うんですね。
「田母神に入れに行きます」という人めっちゃくちゃメール来てますよ。今まで若い頃やんちゃやってた子たちとか、そういう子たちも
「自分たち今まで選挙行ってないけど、今回はみんなで行きますよ」って、「田母神さん応援しますよ」っていうのがめちゃくちゃメッセージ来てます。
「インフルエンサー」として活躍する
「ホリエンモン」
相いれないものも多い存在ですが、
参考にさせてもらいました。
高評価ボタン348、
コメント20件(1日前)
コメントに対するイイネボタン2ケタ代
高評価ボタン33、
コメント8件(4日前)
コメントに対するイイネボタン1ケタ
衆議院選挙でネット世論が
かなり力を持つことになると
かなり的を得た解説ですが、
高評価は58のみ、
コメントはゼロ(6日目の配信)
あらためて、4者の主張とスタンスは
(もちろん4者以外にも関心を持っていますが)
コレ見ただけで田母神俊雄氏一択😃🖐️
— 埼玉🟤田母神俊雄支持🟤 (@saitama_5992) June 18, 2024
リレーお願い致します🙏#拡散希望 https://t.co/pBaRz6ml9s pic.twitter.com/2Hi2PApBoV
今回、「田母神さん」の主張を検証していくなかで、「オレンジ計画」というものを初めて知りました。
アメリカの真実・真相を探るのに大切なワードでした。
(アメリカの歴史検証)
皆さん方ごきげんよう。大変日頃お世話になっております。
立ち上がれ日本の代表の平沼赳夫でございます。
私は基本的な考え方でアメリカとは仲良くすべきだ、このように思っておりますけれども、しかし皆さん方と共にアメリカの考え方、歴史というものをやっぱり日本人としてしっかりと検証していかなければならないと思っております。
(現在まで続く『オレンジ計画』)
皆さん方はオレンジ計画という計画がアメリカにあったことはご存知でしょうか。
まず1897年に、後アメリカの大統領になったセオドア・ルーズベルトが海軍次官の時に、第1回の『オレンジ計画』、こういうのを発表しました。それは太平洋を挟んで存在している日本を最終的にやっつけようという計画なんです。
これは1897年に始まって日露戦争の直後にさらに強化し、そして1911年14年最終的には8回これを変えてきました。その内容を見ると、いかに日本を破壊するかという、そのことで言ってみれば大東亜戦争も起こされたということでありまして、こういう残忍な計画的な自国の利益だけを求める国である、こういうことを日本人は明記をしていかなければ私はいけないと思います。
(残虐だった『北米大陸』征服)
例えば、アメリカの映画の西部劇でみますと、インディアンをどんどん虐殺していきます。もちろんあのアメリカ大陸には先住民族のインディアンがいて、ある意味ではインディアン民族は平和な生活を送っていた。そこにメイフラワー号に乗って清教徒ビューリタンというものが上陸をして、そして結果的に人の良いインディアンというものをまるで射的で人を殺すようにして、インディアンというものを放逐をして、そして西へ西へ太平洋岸にザーッと攻めてきたわけであります。
その間、例えばメキシコもアメリカ大陸を領有していました。ですから、テキサス州なんていうのはメキシコから奪い取ったわけです。ですからそういう意味では、スペインという国があったけれどもスペインとも戦争しメキシコを負かして、そして広大なテキサスという土地を手に入れました。
(『ハワイ・フィリピン・グアム』侵略)
また我々が夏になるとみんな避暑でハワイに行きます。
ハワイにはカメハメハ王朝という平和な王朝があって、そしてハワイ民族がハワイというものを支配していました。
そこへアメリカが乗り込んでいって、だんだんだんだんに侵略をして、そして、王様を追放してハワイをアメリカの領土にしたわけであります。ですから、カメハメハ王っていうのが大変気の毒なそういう立場に立って、そしてアメリカはご承知のようにハワイをアメリカの州にしてしまったわけであります。
日本人がハワイにまず移民をいたしました。そうしましたら、日本人をハワイから排斥しようという運動もあって、そして一生懸命ハワイの荒れ地を耕した日本人、この人たちを苦しめたのもアメリカであります。そして日本移民排斥運動というのがあって本当に我々の先人が苦労したわけであります。
そういう延長線上でフィリピンも彼らは領有いたしましたし、グアム島も領有をいたしました。
(ペリー以降の『沖縄・原爆・東京大空襲』)
そしてペリー提督が日本を開国した。まず浦賀に来る前にペリー提督は沖縄に行って、そしてアメリカの政府に手紙を出して、将来太平洋を制圧するためには沖縄というものは大切な位置に位置している島であるから、まず沖縄を占領すべきだ。沖縄を占領して、日本というもののいわゆる封鎖をして、その上で資源のない日本というものをとにかく取らなければいけない。こういうのがオレンジ計画にみんな書いてあったわけであります。
したがって、皆様方ご承知のように沖縄というものが戦争末期にアメリカが上陸をいたしまして徹底的に破壊をされました。
そして沖縄に飛行場を作って、そしてそれをもとに日本のいわゆるシーレーンというものを全部遮断をして、そして日本に物資が入ってこないようにし、そして日本に原子爆弾2発を落とす。
同じ戦争していたドイツ人には落とさなくて、日本人には落としましたし、東京大空襲その他の日本の主要都市は焼夷弾で爆撃をされて、3月10日の昭和20年ですけれども、東京大空襲では10万人の日本人が、赤ちゃんもご婦人もみんななくなって、そして原子爆弾2発を落として、そして日本は降伏せざるを得ない、こういうことになっていった。
(『黄禍論』災いの日本人?)
そういう形でオレンジ計画を読んでみますと、飛び石作戦というのが書いてあります。太平洋の島を一つ一つ攻めてって、飛び石のごとく占領していって日本を封鎖をして、そして日本人がにっちもさっちも行かないようにして占領する。占領したらアメリカの意のままに動くように日本を感化したい。こういうこともオレンジ計画に書いてありまして、先ほど申し上げました1897年を第1回として、そして1941年までの間8回改定をしたわけであります。
その中でセオドアルーズベルトの右腕となった、退役の海軍軍人のマハンという元大佐が言いました。この人は公然と黄禍論というのを唱えた。黄禍論というのはなんぞやというと黄色の災いと書いて黄禍論というんです。
アメリカにとって黄色人種の日本が最大の邪魔者になるから、これは黄色い災いだからこれを撲滅しなきゃいけない。マハン退役大佐というのはセオドア・ルーズベルトの右腕となって、そしてオレンジ計画を強化をしてきました。
(アメリカ海軍とルーズベルト)
1941年にオレンジ計画を実行に移したのはフランクリン・ルーズベルト、これはセオドア・ルーズベルトの甥でありまして、この人もかつて海軍次官をしていたわけでありまして、アメリカが生き残るのは海軍を拡張することだ、日本に戦艦を持たしちゃいけないという形で、これも5対5対3ということで戦艦を持てるのはアメリカや英国は5だけれども、日本は3しか持っちゃいけない。こういう屈辱的な同盟も日本はさせられました。
そして日本政府にあたってアメリカで一番大きな障害が「日英同盟」だったんです。日英同盟のおかげで日露戦争にも勝てたわけでありますし、日本人は忠実ですから、第一次世界対戦の時は英国も参戦をした。日英同盟がありましたから、日本はしっかりとその同盟に参画をして、そして中国の青島攻撃を始めとして立派な日本人は活動をいたしました。ですから、日英同盟というのはその太平洋征服にとってアメリカにとっては目の上のコブだったわけであります。これを破棄させるために大変努力をしまして、日英同盟も破棄させられてしまいました。
(自らの力で守れない『日米安保』)
したがって日本というのはそういう主要国と関係を持たずに丸腰にしてアメリカは我々は大東亜戦争と言ってますけれども、大東亜戦争、彼らは太平洋戦争と言ってますけれども、戦って日本を降伏させ、その上で憲法ですとか教育基本法というのをの押し付けて、そして日本の歴史というものを否定し、そして彼らは日本・・しよ、こういう形で進んできたわけであります。
ですから戦後67年経ちました。日本は今『日米安全保障条約』をやって、日本は自らの力でこの日本を守ることができません。ですから、アメリカとは仲良くしていかなければなりませんけれども、過去にそういう長い歴史があるということはみんなしっかりと認識して、うまくアメリカと(私は)付き合っていかなければならないと思っております。
(歴史認識を持って米国と付き合う)
そういう意味で例えばTPPの問題一つとっても、慎重に考えていかなければならないし、オスプレイというのは日本の離島を守る意味では大変有力な兵器だと思っております。こういったものは大切に考えて、私どもは対処していかなければなりませんけれども、やはり日米同盟を結んでいるアメリカに対しては、そういう『歴史認識』を持ってしっかりと日本人としてつき合っていくということが大切なことだ、このように思っておりますので、どうか今私が申し上げたことを皆様方にご理解をしていただきたいと思う次第であります。
今日はアメリカのオレンジ計画についてお話をさせていただきましたけれども、ぜひご了解を頂きたいと思います。ご清聴本当にありがとうございました。
だいぶ前の、石原さんとの対談
日本人は非常に善人ですけど、
世界は腹黒いわけですよねですから
エジプトに行った時にナセルに会えたんですよ。ちょっとの時間でそれからねその後もねスカルノさんにも会いました。2人が同じこと言いました。それからマハティールさんもね同じようなこと言ってます。特にスカルノとマハティールが言ったことは、「我々が石原さん独立できたのはね日本のおかげだ」「日本のおかげで我々は第3次世界大戦を勝ち抜きた」「第3次・・何ですか」「独立戦争ですよ」「あなた方のやったおかげで私たちは独立できた」「日本がなかったら私たち未だに植民地だ」
レッド計画というものもあったようです。
「カラー革命」とも通ずるものでしょうか。字数の制限上、このあたりにします。
最後までお読みいただきありがとうございました。