Top Interview|20xx年 未来の働き方 Digital Entertainment Asset Pte.Ltd.(DEA社)  

CEO椎名茂(後編)

DEA社が手掛ける「新たな経済圏」は、確実に未来の働き方を変えていく予感がする画期的なものだ。AIの研究者からキャリアを始め、グローバルコンサルティングファームの代表まで務め、様々な経験をされてこられた椎名さんご自身はどのように「未来の働き方」を考えているのか。希代の経営者が描く未来の働き方とは。

|椎名さんが考える未来の働き方とは?

 

青山:未来の働き方はどうなるのか?ざっくりとでも構いませんので、いま、どのようにお考えでしょうか?

 

椎名:大きく分けると3つあって、1つ目は自己啓発、自己成長、世の為人の為にやるようなもの、2つ目は「楽しいこと」をやってそれが対価につながるようなもの、3つ目は、いわゆる単純な労働。ただ、今後は単純な労働はどんどん減っていって、1つ目、2つ目がどんどん増えていくんだと思うんですよ。今だって、実際、趣味で生活が出来る人がいたりしてe-スポーツのプロとかYouTuberなんかもそうだと思いますが。

いずれは全てがバーチャルの空間でデジタル通貨を使って生活をするようになって、むしろ未来の働き方は辛い仕事ばっかりっていう風にはならないのでは、とも考えています。人によってはやりたい仕事がなければどんどん作っていくのかもしれません。生活そのものがもっと楽しいものになるんだと思います。

ただ、デメリットはその世界にはまってしまう人も出てくる可能性も大いにあるのでリアルとバーチャルがしっかりと行き交いするような仕組みが必要であるとも感じています。

 

|イノベーションが生まれにくくなる可能性

何かが生まれる時というのは「知」と「知」との掛け算。何もないところから生まれるという事はないので。だからこそダイバーシティーが求められるのは当たり前の流れだと思います。多種多様な考え、意見、価値観等を持った人間が交流することで新しいものが生まれるんだと思いますね。ただ、現状、オンラインのみだと雑談がなくなっていくことによって、雑談空間をうまくつくることが今後は必要になるのではと思います。

 

|未来はハッピーか?

青山:最後の質問ですが未来は「ハッピー」だと思いますか?

 

椎名:もちろんハッピーですね。

 

青山:即答ですね(笑)

 

椎名:青山さんが生まれた時代ですと「変化」を感じ取れないのかもしれません。

 

青山:つまり?

 

椎名:私が産まれた時代や私の親の世代は現代当たり前にあるような車、TV、PC、携帯電話、インターネット等はなかったですからね。もちろん貧困の問題等それ以外にもまだまだ解決出来ていない社会課題は数多くありますが、総じて生活レベルそのものは上がっているのではと感じています。それを踏まえて考えてみても過去に戻りたいと思いますでしょうか?

 

青山:おっしゃる通りですね。戻りたいと思わないですね。

 

椎名:ですので未来に向かって人類は着実に進歩をし、より良い社会になっていくのではと感じています。

 

|人の交流の総量は増えていく

 

青山:でも、リアルからバーチャルへとシフトしていくと、対面での接点がなくなることで関係性の希薄さにつながる懸念もあると感じますが、いかがでしょうか?

 

椎名:人間はリアルでの行動を起こすために工夫をするんだと思います。むしろ希薄さとは逆で昔より人的交流がどんどん深まっていくんだと思いますね。

 

青山:つまりどういう事でしょうか?

 

椎名:例えば、対面のみでの出会いなら出会って終わりという関係性というのがこれまで数多くあったかと思います。青山さんと私が過去に対面でお会いした。もしSNSがなかったらもう一度今みたいにお会いできますか?

 

青山:難しいでしょうね。

 

椎名:しかしSNSの発達によって、例えば一度会った人がSNSで改めて連絡を取り合ったりすることで再会するという機会が創出されるように。かつてSNSがなかった時代と比べて上手く活用すれば交流出来る土壌があるのが現在ではないでしょうか。ただ、取り残される人や馴染めないという人がいるのも事実なので、うまく社会全体がカバーをする仕組み作りを忘れてはいけないでしょうね。

 

~Thoughts~

椎名さんはAIの研究者として多くの論文の執筆や特許の取得を行っていたキャリアを持つ。その後、AIを実社会に応用したいという想いからコンサルティング業界に転身。経営戦略立案、デジタル改革を中心に大企業へのコンサルティングに取り組まれた。その後、経営トップへと。以前お会いした時に、コンサルティング業界に転身されたばかりの頃の話をお伺いした記憶が蘇る。ベンチャー環境下だったので契約書一枚の作成も自分で一からやっていたんだと、嬉しそうに苦労話をされていたのがとても印象的だった。今回も、スタートアップならではの苦労話や、DEA社についての数多くの質問にもユーモアを交えつつ丁寧に説明をして頂けた。すべての事象におけるPros&Consをフラットな考えのもとに。そしてすべてが的確だった。

かつて、椎名さんにチームで仕事をする意味についてお伺いした際、「一人で見る夢は夢で終わるが、仲間と見る夢は希望に変わる」と仰っていた。今まさに世界を変えようとしているスタートアップで、仲間と共に汗を流しながら新しい夢を見ているのだろう。1点の曇りもないその表情から既により良い社会へ変容させていっているという自信と共に、希望を見出しているのかもしれない。

明るい未来の働き方はそう遠くない将来にあるのかもしれない、そう感じられた。

 

椎名茂|プライスウォーターハウスクーパース代表取締役社長、KPMGコンサルティング代表取締役副社長を歴任後、Digital Entertainment Asset Pte.LtdのCEO。慶應義塾大学理工学部訪問教授, 日本障害者スキー連盟会長。

 

Top Interview|20xx年 未来の働き方 Digital Entertainment Asset Pte.Ltd.(DEA社)椎名茂CEO(前編)

グローバルコンサルティングファームの代表(PwC Japan代表取締役社長、KPMGコンサルティング代表取締役副社長)を歴任し、ゲームチェンジャーとして世界を変えるべくブロックチェーンの技術を基盤としたスタートアップに飛び込んだ椎名茂氏。

DEA社(シンガポール)は既に3つの取引所で上場し、EU認可のフィンテック企業「Simplex」社との事業提携や、中国アリババグループAlibaba Picturesとのパートナーシップ契約を締結するなど破竹の勢いで大きな注目を集めている。今後、サードパーティーのゲームメーカーの参画や独自のマンガのリリース等を行うことで、PlayMining経済圏を拡張していき、3年後に1億人ユーザーの獲得を目指していく。同社が手がけるブロックチェーンエンターテイメント事業は、「楽しさをお金で買う」のではなく、「楽しんでお金を稼ぐ」というこれまでになかった新しい経済圏を創出し、どのように「未来の働き方」を大きく変えていくのだろうか。

|DEA社のビジネスモデル

青山:破竹の勢いで増々注目を集めているDEA社が手掛けるPlayMining経済圏とはどのような仕組みでしょうか?ゲームに課金するのではなく、「ゲームで楽しんで稼ぐ時代」というのはどういう事でしょうか。

 

椎名茂氏(以下、椎名):PlayMining経済圏では、PlayMiner(ユーザー)は、まずゲームで遊ぶことでコインを稼いでいくんです。稼いだコインを使ってデジタルアートオークションで欲しいデジタルカードを購入します。購入したカードはゲーム内でさらに強いカードとして使えるようになるんです。またオークションで購入したカードは、カードの希少性に応じて相場が作られ、価格が変動します。つまり、安いときに購入し、高いときに販売することで差額益が生まれることになります。さらに溜まったコインはOKEx等のDEAPcoinが上場している暗号資産取引所で他の通貨と換金することが可能です。これまでの「ゲームに課金する」のではなく、まさにゲームが「楽しんで稼ぐもの」に変わり、楽しむことの「対価」が「報酬」となります

 

青山:発想が画期的ですし、既に実現してしまっているところがすごいですね。また、日本で人気のIP「日本の給料&職業図鑑」の出版権、ゲーム化権等を含む全権利を獲得しましたね。さらに、日本で40万部を売り上げた人気書籍である「職業図鑑」を世界各国でローカライズし出版事業を行うというのは、どういう意味があるのでしょうか?

 

 

椎名:「日本の給料&職業図鑑」はこれまで士業や会社員として定番の職業から、ユーチューバー、ライバー、プロブロガー、コスプレイヤーなどといった新しい職種まで幅広く取り上げている点が特徴ですね。また「職業」はどの国、地域においても普遍的に通用するコンセプトで、日本だけでも2,000種類といわれる「職業」を、「日本の給料&職業図鑑」ではすでに800種類もキャラクター化し、書籍にまとめています。DEA社は日本のみならず、世界中の人たちの「職業」における理解を深め、互いの「職業」に対して尊敬を生むという社会貢献にも繋がるのではと考えています。

 

青山:私も購入しましたが、世の中にはこんなに「職業」があるのかと驚きました(笑)また、著名な漫画家も特別寄稿されているのは凄いですね。

 

椎名:そうですね、「サラリーマン金太郎」の本宮ひろ志さん、「東京大学物語」の江川達也さん等、ほか有名漫画家や人気絵師が描き下ろしてくれています。皆さんとても好意的でした。

 

青山:こちらの「ワールドフラッグス」も多くの反応があったようですね。当初、旗の登録のなかった国々からの問い合わせもあったとか?

 

椎名:「ワールドフラッグス」で世界の国旗や文化に興味をもってもらえているようです。国旗の由来や意味をまとめ、各国の文化やことわざも掲載しています。旗をイケメンのキャラクターで擬人化していて、身長や性格、名前なども入れ、妄想も交えて紹介しているんですよ。反響が各国からあり、未だ擬人化できていない国の大使館から、何故うちの国はないんだ?早くしてほしい、という問い合わせも実際あったぐらいです。

 

青山:「絵」は世界的な共通言語ですもんね。各国の理解に繋がる教育要素も含んでいますね。

 

DEA社が創り出す未来の働き方とは

 

青山:DEA社が生み出す新しい経済圏は未来の働き方をどのように変えていくのでしょうか?

 

椎名:将来的にPlayMining経済圏が確立することで、間違いなく今までとは違う世界が生まれてくると思います。現在だとYouTuberやe-スポーツのプロが楽しんでやっていたことの延長線上が「職業」となっていったように、PlayMiningで稼ぐ人たちをPlayMinerと呼んでいるのですが、このPlayMinerがどんどん増えていくことで、「ゲームで楽しんで稼ぐこと」それが職業となっていくのだと思います。

 

青山:一昔前であれば、YouTuberやe-スポーツで活躍する人材が「職業」として成り立つなんて夢にも思いませんでしたからね。これまでの「働く」という価値観を大きく根底から覆しそうですね。

 

椎名:将来的には好きな事が仕事となりそれを「職業」にしていくんだと思いますね。好きなことがない人は自分で作り出すかもしれません。リアル及びバーチャル世界の両方で。

 

後編に続く。

 

<後編>

①椎名さんが考える未来の働き方とは?

②未来はハッピーか?

 

椎名茂|プライスウォーターハウスクーパース代表取締役社長、KPMGコンサルティング代表取締役副社長を歴任後、Digital Entertainment Asset Pte.LtdのCEO。慶應義塾大学理工学部訪問教授, 日本障害者スキー連盟会長。

 

 

 

 

「人の為に役立つ事が出来るってその時思って、そしたら嬉しくなって」とその屈託ない明るい表情から紡ぎ出される言葉の数々は、使い古された杓子定規な言葉というより、周囲の空気を楽しい雰囲気に変えると同時に、信じる「何」かを「信じてくれている人達」の為に精一杯やり遂げようとする力強さを感じさせた。プロフェッショナルとして企業で数多くの実績を残すとともに、現在はフリーランスの人事コンサルタント、ベンチャー企業のCOO、話し方研究所の講師、駐在妻としての顔を持つ三浦梓さん。大学院を卒業後、リクルート、A.Tカーニー、起業及びフリーランスとキャリアの変遷をたどった彼女は、今なお自身の信じる未来を創る為チャレンジし続けている。

「仕事を生産的なものにするには、成果すなわち仕事のアウトプットを中心に考えなければならない。技能、情報、知識は道具にすぎない」

P.F. ドラッカー

|Pre Career

青山:キャリアの変遷の中で数々の実績を残すと共に、現在も幅広い仕事やプロジェクトを掛け持ちながら忙しくされていらっしゃいますね。子供の頃はどのような教育環境で育ったのでしょうか?

三浦:研究者の父と美容師だった母から産まれました。三人兄弟の真ん中で。子供の頃から図鑑や専門書等に囲まれていて、特に偉人伝のようなものを好んで読んでいたような記憶があります。両親共に私がやりたいと言った事をすべて応援してくれていました。母は私の些細な行動やプロセスそれ自体とかも褒めてくれましたし。父はどちらかというと研究者というのもあり結果を見ていたような感じがしましたね。いずれにしても自立を促すような家庭環境だったと思います。

青山:すごくバランスがとれていた感じですね。学生時代はどのように過ごされていたのでしょうか?

三浦:高校の担任の先生が一人一人の生徒をとても大切にする方で、人と向き合う姿勢にとても影響を受けたのを記憶してます。また、幼い頃より自分から積極的に手をあげてなんでも取り組むタイプではありました。

青山:例えば?

三浦:校長先生に直談判したり(笑)

青山:すごいですね(笑)

三浦:祖母を中学2年生の頃に癌で亡くしたのをきっかけに、癌を無くす為、薬の研究者になろうと高校三年まで目指していたんですよ。で、ある時大学の研究室が高校生にも門戸を開く体験プログラムを新聞で見て。応募の際に学校の推薦状が必要だったんで、翌日すぐに校長室に行きました。

青山:無事にそのプロジェクトには参加できたんですか?

三浦:無事受かって参加したのですが。ただやってみたものの、薬の研究という事で調合等細かい作業とかあるんですが、自分の性格は几帳面でなく向いていないなって気づいて、別の道を進もうってなりました(笑)。

青山:なるほど(笑) 大学時代の専攻は文系ですね?

三浦:とはいえ一度決めたことはやり遂げたい性格だったので、センター試験も国立理系として受けました。センター試験を受けた後にモヤモヤしていた時に政治家の土井たか子さんに出会えたことが大きいです。たまたま知り合いに誘われて応援演説に参加した時、彼女の言葉の力で周囲の大人を感化させる事の凄さを知りました。印象に残っているのは意見を表明する事は大事なので、自分の意見を持ちなさいといったお話しに、それまで自立して「人」の役に立とうと研究者を志していたのですが、言葉で人の役に立つ方法もあるんだと知り、同時に政治家という職業を初めて知るわけなんですね。それで、スパッと政治家になろう!と別の道が決まり、土井たか子さんが授業を持っている学校及び大学院進学で同志社大学を選びました。

青山:どんな大学時代を過ごされたのでしょうか?

三浦:会計士を目指すべく商学部へ入学したんです。残念ながら土井たか子さんは既に大学を辞められていらっしゃいましたが、院への進学を前提に授業を取っていて、大学2年生の時、ベンチャー起業論の授業で実務を通し活きたビジネスを学べる面白い授業との出会いがあったんです。それが同志社大学大学院商学研究科(京都銀行の元常務取締役)の田中譲先生のもので。先生が創られた新しいゼミの立ち上げに参画して。Newspicsの坂本大典君も後輩で。ゼミのみんなとは今も交友関係を持っています。現在、先生は86歳になられるんですが、この前もZoomデビューをみんなで手伝ったりと。


青山:とても家族的な信頼関係があるようですね。

三浦:田中先生からは本当に多くの事を学びましたから。

青山:先生から受けた影響はどんなものだったのでしょうか?

三浦:ある時、自身の人生設計の相談をしたら、10年単位でキャリアを決めた方が良いぞと仰られて。先生も当時60代でしたが、まだまだやりたい事があるんだというお話しをされ刺激を受けたのを覚えています。また、若い人を信じて導くという姿がとても素敵で。先日も「自分の人生にとって、君たち(教え子)と関わってきた時間が一番のかけがえのない時間だ」と仰って頂き、とても感動しました。

青山:すごく良いお話しですね。

三浦:また、私はもともと「人」の役に立つこと且つ影響力の大きい仕事をしたいという想いがあって、ゼミ経由で知った外資系コンサルティングファームを志望したんですが、当時、先生にリクルートを勧められたのも影響の一つでしたかね。

|リクルートでの三浦さん

青山:新卒でリクルートに決めた理由はどんな所だったのでしょうか?

三浦:内定を頂いた外資系総合コンサルティングファームとリクルートで悩んだんですが、人の魅力という所でリクルートを決断しました。

青山:最初はどのような業務に就かれたんでしょうか?

三浦:最初は新規開拓の営業でした。入社して半年間は色々苦戦したのを記憶しています。ただ、営業以外にもやりたいキャリアがあり、成果を残さないと発言権もないなと感じ、とにかく成果を上げることにコミットしました。その後、着実に成果を上げることが出来、表彰されるようになっていきました。

青山:何か印象に残ったエピソードはありましたか?

三浦:とにかく量をこなす事を意識した時期だったんですが、社内で人を巻き込む事も重要だというのを学びました。新人だったんですが日本を代表するIT企業へ提案をする機会を獲得したんですが、自分一人ではさすがに難しく。すぐにMP部(営業企画)のマネージャーに一緒に提案書を作ってもらえるように働きかけ、大型の提案案件をした経験から、人を巻き込むと大きい仕事になっていくんだなと感じました。同時にその頃から、自身の「弱み」を出すようになれた時期でもありましたね。

青山:つまりは?

三浦:いわゆる「優等生タイプ」だったんですよ。ただ、先輩方からも自分の弱みを見せることでもっと周りが助けたくなり、人を巻き込めるようになるからとアドバイスを頂いていて。そういった経験をとおして「弱み」を見せる事の重要性を認識しました。

|人生の転機 「人」と「成果」と「弱み」

青山:その後、情報誌MP部(商品企画)に移動し情報誌(住宅情報)も手掛けるようになりますね。その頃に準MVPも受賞されていらっしゃって。人生の転機があったようですが。

三浦:東日本大震災が大きなきっかけとなりました。今でもその頃のことは鮮明に憶えているんですが。当時担当エリアの仙台版の復興プロジェクトリーダーとして2011年4月の終わりにプロジェクトを立ち上げ、6月1日に情報誌を復刊させたんですね。

青山:すごいスピード感ですね。

三浦:印刷工場も止まっていて、新聞社ですら止まっていた時期だったんです。

青山:どのようにそこまで持っていったんでしょうか?

三浦:物理的にすべてが止まってしまっていて、困っている人が数多くいたからこそ、「人」の助けになりたい、こういった時期だからこそ「情報」を人々に届けたいという想いで必死でした。

青山:なるほど。仰る通りですね。共感します。

三浦:ゴールデンウィークの直前で社内稟議が下りたんです。それまで、「戸建て」と「賃貸」に分かれていたものを一冊の情報誌にする企画担当にも任命いただき、6月1日には復刊するスピード感で、営業、企画、制作、印刷、発行等を1ヵ月でやり遂げるというものでした。プロジェクトに関わる人数も150人ほど関わっていて、そちらを指揮するリーダーをやりました。

青山:一大プロジェクトですね。

三浦:復刊と同時に仙台市内の路上でその情報誌を配布をしていた時、住宅に関する事で困っていた方々からの多くの反響があったことは今でも忘れられません。ボロボロのスーツ姿の方が避難所に届けたいと仰って、大量に情報誌を持っていかれて。「僕たちはこういうのを待っていたんだよ」って、言ってくれて。泣きました。

事業としても1年間は赤字覚悟で組んだプロジェクトだったんですけど、復刊第一号から大幅な黒字化にもなり、反響数もギネスで、結果として準MVPを頂くことになりました。情熱が人の心を動かした結果なんだなと感じました。

青山:その後、人事へ移動されましたね。

三浦:気づいたら商品企画で表彰を受ける常連になっていて、企画をやる人材を育てる研修もやっていたりと、もちろんやりがいもあったんですが。人事をどうしてもやりたいという想いがあって。

青山:どのような想いがあったのでしょうか?

三浦:私自身が人に助けられてきたというのが強かったですね。だからこそ人生に寄り添って向き合ってみる仕事をしたいなと。特に、新卒で入る会社は社会人の第一歩ですし、みんな迷うと思うんですよ。私も迷いましたし。

青山:実際、どうでしたか人事をやられてみて?

三浦:「コミュニケーション力はないと思え」、これを一番に感じました。人事は新卒採用からスタートでした。具体的には会社説明会の企画担当や、東大や京大の学生さんたちを中心に私対学生さん3人での面談の日々を過ごしました。ただ、売り手の学生相手だったので振り向いてもらうのが難しかったですし、これまでのリクルートの看板や成功体験を伝えるだけでは彼らに会社の魅力がまったく響かなくて。

青山:なるほど。どのように成果を出していったのでしょうか?

三浦:すごくシンプルですが、「一人一人に向き合った」だけなんです。会社をピッチするというより、キャリアアドバイザーのように彼らと真剣に向き合いながら、自分自身をさらけだしていったんですよ。自分の挫折や失敗も含めて。彼らにとって人生の大事な時だから全力でぶつかりに行きました。そうしたら次第に心を開いてくれて。涙を流す学生さんも出始めました。私自身もよく見せようとする自分から脱却し、本当に成長をさせてもらいました。今でも感謝しています。

結局、仕事のために始めた事でしたけど、仕事でなくなっていく感覚がどこかあり。特に京都大学の学生さんが多く内定承諾をしてくれたので、大手総合商社からベンチマークされたり、内定者からも私のことを京都大学出身の人って勘違いもされたりと(笑)没頭していましたね。

青山:その後、中途採用も手掛けられましたね。

三浦:中途採用の頃は採用業務以外にも社内研修業務もやっていました。毎日深夜まで本当に働いていたな~っと。とても面白かったんです。紹介会社の方々が仲間になってもらう動きとか、採用プロセスでファン作りの仕組みなんかも手がけたりと。新卒採用も中途採用も、結局の所、人と向き合うのでどちらもすごく楽しかったです。即戦力採用も得意にもなりましたし。入社後の次世代リーダーも数多く採用出来ました。具体的には紹介会社の方々から月40名応募から月260名応募に増え、半年で6名採用が年間106名採用、量だけではなく質にもこだわった採用ができ、現場の部長やマネージャー陣と喜びました。彼らから現場の魅力や面接の振り返りなど日夜会話をさせていただいたことがあってこその成果です。

|組織と向き合う

青山:リクルートを辞められて、A.Tカーニーへ転職をされてますね。どういった経緯があったのでしょうか?

三浦:田中先生の10年軸でキャリアを考えるというものがキャリア観の根底にあったので、辞める2年前から外を見てみようと色々と準備をしていました。ですので、フリーランスの方々と関わりをもったりと、自身が興味のある講座でスキルを学んだりと。社外活動を活発にしてた時期ですね。退職後1か月半ぐらいはフリーランスだったんですが、とある転職サイトでA.Tカーニーから直接連絡があったんです。A.Tカーニーは田中先生のゼミでも会社見学をした想い出のある企業でもあり、運命を感じ、人事採用組織の責任者として入社いたしました。

青山:リクルートでの様々な経験が活きた感じだったんでしょうか?

三浦:ミッションがオペレーター業務のみの人事組織から戦略を考え実行する人事採用組織を作り上げるものでした。部下も持ち、新卒・中途(MBA採用含む)の採用戦略立案から、採用プロセスの仕組み作り、人事制度構築も含めたプロジェクト、次世代リーダーの選抜教育研修も含めて、様々な組織課題にぶつかったりと本当に学びが多かったですね。

青山:その後は、フリーランスとして数多くの仕事に携われていらっしゃいますね。これまでの会社員として働いていた時とどのような違いがあったんでしょうか?

三浦:最近ようやくですが経営の「視座」が分かり始めた感じがするんです。

青山:つまりは?

三浦:フリーランスになり多くの企業様と関わり合いを持つことや、経営者の方々と近い距離感で仕事をする中で、「経営者」の苦悩や葛藤、想いを直に感じ取る機会が増え、今までメンバーやリーダーでいた時には見えなかったものが少しづつ見え、感じ取る事ができるようになったのかなと。

|今後やりたい事

青山:今現在も相当忙しく過ごされている印象がありますが、今後はどのような事をやっていかれるんでしょうか?


三浦:夫の仕事の関係でブラジルに駐在をしていて、今はコロナショックの影響で一時的に帰国しているんですが、秋ごろに戻る予定なんですよ。ただ、現在、日本で進めているプロジェクトやオンラインで出来るものは引き続きやっていくつもりです。「駐在妻」のプロジェクトもそうですが、キャリアで困っている人の支援や、「人」軸からの組織課題の解決等が中心になっていく感じですかね。

青山:現在、どれぐらいのプロジェクトを抱えていらっしゃるんでしょうか?

三浦:15ぐらいですかね。タスク管理がだんだん大変になってきました (笑)

青山:秘書が欲しいレベルですね(笑)

三浦:さらに、今役員をしている株式会社TORCHで新事業を始めます。具体的には働きたい女性に働く機会を提供するためのオンライン転職塾を近々開講予定です。

青山:まだ、やるんですか!?すごいですね。

三浦:現在の転職市場において、3ヶ月以上の仕事の空白期間があると不利になる実態。空白期間が6ヶ月以上ある場合は書類選考すら通さない企業が多いです。そのような中でパートナーの転勤や子育てにより、3年以上空白期間がある女性がやっと働ける状態になり転職活動をした際に待ち受けているのは、人材紹介会社にも相手にされない、自力で活動をするも不採用通知が続くという過酷な現実です。結果、働けない自分に自信をなくして苦しんだり、空白期間を作ってしまった自分の人生を後悔する女性たちが多くいます。そこで私は空白期間に囚われず、女性が働きたい時にいつでも働ける社会を作りたいと考えています。そこでオンライン転職塾ではキャリア面談後、必要に応じて週2、1日4時間勤務といったプレ就業を行なってもらい、その後正社員、時短社員、業務委託、アルバイトなどの雇用形態選択から内定まで人事のプロが徹底的に伴走をします。決まった働き方に合わせるのではなく、自分で働き方を作っていける社会にし、女性が自分に自信をもち、子育てなど仕事から離れる機会への不安をなくしていくことを目指しています。


私自身、夫の海外赴任に帯同し専業主婦をしていた時期がありました。仕事から遠ざかるうちに仕事の感覚を失っていく自分に気づき、いざ仕事を本格的にしたいと思った時にできるだろうかという不安と自信を失いました。しかし主婦をしながら徐々に仕事を増やし、複業を行なっていくうちに自分のスキルや希望する働き方が明確になり今では海外に行く前より仕事を多く行なっています。

私は空白期間に囚われず女性が働きたいと思った時に働ける機会とスキルを身につけて欲しいと考えています。そのためにも今回のオンライン転職塾を通して、日本の人事部に空白期間がある女性が違う視点を持った即戦力になることを広めていき、空白期間3年以上の女性を採用したいとむしろ空白期間が強みになる世の中を形成していきたいです。

青山:ちなみに、まだまだやりたい事はあるんでしょうか?

三浦:そうですね。働きたい女性が働きたい時にいつでも働ける社会にしたいです。そのためにもいろんな事にチャレンジをしてみたいですね。TV番組のコメンテーター、政治にも興味ありますね、そして大学教授も。田中先生みたいに学生さんの人生の岐路に寄り添い、卒業後の実り多い人生を応援したいです。

青山:本当に多岐に渡りますね(笑)

三浦:「人」の為になるなら、なんでもやりたくなるんですよ(笑)



三浦梓|人事プロフェッショナル 茨城県出身。大学院卒業後、株式会社リクルート(現リクルートホールディングス)に就職。営業、商品企画、人事と計10年勤務。退職後、A.T Kearney株式会社に人事責任者として就職。その後独立し、フリーの人事コンサルタントとして活動し、ベンチャー企業の経営陣採用や新卒、中途の採用設計から運用まで幅広く関わる。面接した人数は合計1万人以上にのぼる。また友人と会社を立ち上げ、株式会社TORCH COO就任。2020年1月末に夫の海外赴任に帯同しブラジルへ。現在は、世界中の駐在妻・元駐在妻・プレ駐在妻を応援し、共に成長するコミュニティ『駐妻キャリア net』の運営メンバーとして活躍中。転職ノウハウブログ『駐妻 本気の転職術』を執筆。話し方研究所プロフェッショナルインストラクター。慶應義塾大学大学院SDM研究科研究員在籍中。




「正直者が報われるような社会を創りたいんです」という言葉と共に、一点の曇りもないその表情から、彼の真摯さが伝わってきた。美容師(Beauty Artist)からキャリアをスタートさせ、IT業界へ転身。Webデザイナー、エンジニアを経て、PM/ビジネスプロデューサーへ。

「人」を見つめ、「本質」を見抜く力が彼のキャリアを創る上での強みであったことは自明であり、どんな逆境でも絶え間ない努力を重ね自身を成長させる事が、これまでのキャリアの変遷に色濃く映る。

「成果を上げる者はアウトプット思考であるのと同時に、実践的な能力を身に付け機会を得る」と耳にした事がある。横倉さんのキャリアインタビューから感じたものはまさにそれだ。そして、今なお彼は新しい道を切り開きながら自らを次のフェーズに仕向ける為、チャレンジを続けている。

「21世紀に重要視されるスキルは新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく。」

P.F.ドラッカー

|キャリアの変遷

青山:キャリアシートを拝見しましたが、最初のビジネスキャリアを美容師として選ばれましたね。ただ、県内トップの進学校(偏差値71~74)に通われていらっしゃいましたが、周囲の進路と比べても異なった選択だったのでしょうか?

横倉氏(以下、横倉):そうですね。少なからず周囲の大多数とは違う進路を選んでました。家庭もわかりやすいエリート家系みたいな感じでしたね。ただ、その当時はどちらとかというと「手に職」をつける事に自身の関心があったのと、美容師という職業が「アーティスティックな技術」「接客」を極めるプロフェッショナルというのにも惹かれ、すごく自然な流れであったかと思います。

青山:美容師になるにあたって、どのようなプロセスを踏んだのでしょうか?

横倉:まず、青山や原宿にあるような美容室に自分がお客さんとして通って情報を収集しましたね。

青山:なるほど、面白いですね。

横倉:業界情報を得て、その後、専門学校へ入り卒業後に美容師として就職をしました。東京での勤務と転勤で名古屋にも行きましたね。5年ほどでしょうか。ただ、その後体調を崩し、美容師の業界を離れます。

青山:すぐにIT業界で就職をされたんですか?

横倉:とはいえ、IT業界へ行くのにはなんのスキルや経験もなかったんです。ですので、当時、丸の内にあったコミュニティースペースでアルバイトをしながら、専門学校に通いました。ただ、学校はあくまでも学校なので。社会で通用する専門スキルは身に付けられません。その頃、web業界にいる多くのフリーランサーの方々とのネットワークを広げていき、本当にお世話になりました。多くの方々と交流を持ったのですが、特に千貫りこさんからは仕事を紹介して頂いたり、とても学びが多かったです。そういった活動の中から知人の紹介で就職が出来たんです。

青山:どのようなお仕事だったんでしょうか?

横倉:有名アーティストを抱える企業のグループ会社で、webデザインやフロントエンドエンジニアの仕事をしました。ただ、小さな会社でしたので、実際にはなんでもやったんですが。そこである程度経験を積み、中小のSierに転職をしました。

青山:IT人材として初めての転職ですね。この頃からディレクション業務をやっていたようですが。

横倉:そちらの企業を通してIT業界や業務のスタンダードを学びたかったんですね。大きい規模の会社ではなかったのですが、それまでの経験を活かしつつディレクション(進行管理)をするようにもなっていました。ステイクホルダーを調整しプロジェクトを前に進めたり、コミュニケーションプランを練るような人材が周りにいなかったというのもありましたが。私の場合、美容師として接客をして身に付けていたコミュニケーション能力があったので、周囲と比べても得意だったのかもしれません。

青山:その後、上場しているベンチャーに転職をされましたね。どういった想いからでしょうか?

横倉:その頃にはスキルや経験をある程度身に付けることが出来、もっと力を試せるような環境に身を置きたかったんですね。優秀なCTOのもとでPMとして転職をしました。特に印象的だったのは、プロフェッショナルとしてのValueを発揮することですね。

青山:例えばどういうことでしょうか?

横倉:入社して1週間の新人であろうと、どのようなValueを発揮できているか厳しく問われるような環境でした。ただ、お陰で「プロフェッショナル」として組織に貢献をしているかを自問する習慣が身に付いたと思います。

青山:その後、楽天でビジネスプロデューサーをされますね。

横倉:業績不振を受け転職を考えました。当時、大企業で働く事にも興味があり、周囲からの勧めもありました。その頃には、経験を評価して頂き多くの企業からオファーを頂くようにもなっていたのを記憶しています。アクセンチュアやその他のコンサルティングファームなんかからも。ただ、自分としては事業会社でビジネスをやりたい気持ちがありました。

楽天で働いてみて気づいたのですが、それまでベンチャーでの経験が長かったせいもあるかと思いますが、大規模な組織で事業を動かしていくというより、小規模な組織の方が合っているのかなとぼんやりと考えていました。

青山:その後、イノベーションを世の中に創り出すスタートアップへの転職や、またネクストキャリアは統計データ等データ分析に強みを持つスタートアップですね。

横倉:そうですね。もともと、「人」に着目し社会を見てきました。ですので、人やアイディアの本質的な価値を定量化する技術に興味を持ったんですね。また、入社後すぐにPMグループ統括としてOKR推進、組織横断の仕組みづくりをする等、経営視点から事業推進をした経験は大きかったです。それまで組織作りにコミットするという経験はなかったので。「組織作り」による課題意識から、世の中を俯瞰してみるようになってきたのかもしれません。

青山:俯瞰してみるようになって何か変わりましたか?

横倉:そうですね。「セルフブランディング」や「発信する事」等のマーケットでの「個」としての立ち位置を意識するようようになりました。

ネクストキャリアは、元同僚経由でCTOとお話しをする機会を頂きました。CTOやCEOの考えにも共鳴をしているので、これまでの経験を活かしてモノづくり組織を創っていく事など、新たな経験が積めるのでとても楽しみです。

|一番大きい人生の転機

青山:これまでのキャリアを通して、人生の一番の転機はいつだったと思いますか?

横倉:常に「意思決定」を繰り返しているんで、いつも人生の転機があるんですが。特にキャリアの変遷という事では美容師を辞めた時でしょうか。体調も崩し、精神的にも辛かった中から「生きる事とは何か」、徹底的に生死に向き合った記憶があります。

青山:そうなんですね。どのようにキャリアに対して向き合ったんですか?

横倉:具体的にどんな仕事をしたいかを考える以前に、「生死」って事を真剣に考えました。人間にとって普遍的で変わらないものをつきつめて考えていたというか。そこから解像度を上げて、具体的にどんな仕事をやっていこうかと掘り下げていった形になります。ただ、この頃に掘り下げた感覚はまったく変わっていないんじゃないかと、今でも思うんですよ。

青山:こちらは当時のご自身のメモ書きですね。

横倉:この前、家のなかを整理していたら出てきたんです。自分でも忘れていたんですが(笑)

青山:既に自身の考え方のデファクトになっているようですね。

横倉:当時、人間が生きている限り変えられないものとして、「生死」は外すことが出来ない誰もが抱えている普遍的な要素だと感じたんですね。そこから一貫したキャリアを創っていくべきじゃないのかと。具体的な仕事やテクニカルな経験やスキルは時代と共に変わっていくものですし、表面的な部分をあれこれ考えても本質的ではないのかと感じていました。振り返って言語化をすると、そんな感じでしょうか。今でも、この時に掘り下げた感覚は変わっていないんですよね。

だから、キャリアを考える際に、まずは生きている限り変わらない要素を深く考えるべきだと考えています。実際、僕の場合はそうせざるを得なかったという部分が結果論としてありましたが。

|「大事」にしているもの

青山:ちなみに横倉さんがキャリアにおいて、又、人生において大事にしているものはなんでしょうか?なんでも。

横倉:今、思う事でいうとキーワードは「共感」ですかね。つまり、共感の和を広げていく、繋げていく。それ自体に「価値」を感じているからですかね。

青山:それはどのようなきっかけがあったのでしょうか?

横倉:シンプルに「共感」を生まない事や、共感を創れないことは「価値」がないことに等しいのかもしれません。ビジネスにおいても。どれだけそれ自体が素晴らしいことであっても、結局、意味を為さないんですよね。「人」がこの世の中で生きている限り、人が「共感」をするものを提供したり、発信していかなければ価値がないのかなと、様々な経験を経てそう感じています。

|これからどんな事をやっていきたいか

青山:今後、それらを踏まえてどのような事をやっていきたいと考えていますか?

横倉:今回の転職は「副業」前提で考えていました。それは「個」としてサバイブする能力を身に付けたいという気持ちも強かったです。また、組織作りの経験から経営の視点を取り入れたい、経営者の気持ちをわかりたいといっても、自身が経営者の経験をしてみないとわからないので、ゆくゆくは経営者の道も考えています。今後は「個」を軸にした形でこれまでのストーリーを活かし、価値提供出来る「何か」でPDCAをしっかりと回していきたいですね。

青山:ちなみに「個」としてどのようなビジネスを手掛けていきたいとかございますか?

横倉:まだイメージの段階なのですが、今、考えているのは「教育」なんですよ。それを支えているキーワードは「共感」「本質」です。共感と本質を2大テーマにした「教育事業」を将来的にやっていければなと考えています。

|「共感」と「本質」

青山:なぜ、教育に行きついたのでしょうか?

横倉:自分がずっと「本質」ばかりを考えていた人間というのがありますかね。キャリアがなかった頃は説得力もなかったんですが、ただ、自分がやってきたことが間違っていなかったかなと最近になって感じられていて。

それを「(あらゆる場面での)課題解決」に役立てて欲しい。むしろこれからは本質的な見方をしているかどうかが、その人のキャリアに直結すると考えていて。「本質的でない人材」がどんどん淘汰される時代になっていくんだと思うんですよ。本質的な観点や勘所をみんなが身に付けていないと生きていけない。

自分がやってきたストーリーはIT業界の中なので、そういった経験から本質的な観点として「何」が大事で、「何」が無駄か。今からキャリアを創ろうとする人達にも教えてあげられればなと。

青山:なるほど、とても有益な印象がありますね。

横倉:そうでないと、時代に淘汰されていくのは目に見えていますから。「個」として生きていく時代には、特に。自分が見て経験をしてきた「本質」的な観点から役に立つことを伝えられれば嬉しいなと。

青山:なかなか物事の本質を理解するというのは難しそうですね。

横倉:おっしゃる通りですね。だから最初は本質的な考え方をすることで、「わかりやすいメリットとかがあるんだよ」とか、伝えられればと。例えばこれぐらい年収が上がりますよ、とかでも良いのかもしれません。

本当にこれからの時代は表面的なものに捉われて生きていくだけでは、切り抜けるのが難しいなと感じています。

だからこそ、大事な事を見失わない形で本質的な教育を手掛けてみたいと考えています。


横倉弘隆|Hirotaka Yokokura 20代半ばに美容師からwebデザイナーへ異業種転職。その後プログラマーを経てディレクター/PjM/PdMとして中小ベンチャー、上場ベンチャー、大企業まで、様々な企業規模や事業領域で開発及び事業推進に携わる。美容師後はweb受託開発(個人事業/デザイン/フロントエンド)、中小システム開発会社(フロント・サーバーサイド開発/ディレクター)、上場ベンチャー(Re-tech/IoT/SectionManager/PM)、楽天(市場Eコマース/Producer)、J-Startupベンチャー(プロダクトPM)。現在、スタートアップでPMとして活躍中。