どうも。
今回はとくに何てことない近況雑談を・・
最近、ブログとかそういうのを見るのを減らしてます。
といっても今に始まったことではなく、たまぁにやってたことなんですが、そんなことを時々。
そもそも発信頻度が低い人とかはいいのですが、自分の場合なんとなく人のことを知りすぎるのもどうかなぁというところと、ネット依存チェックみたいなところはあります。
今はネットが便利すぎて、四六時中いろんなものを目にする上に、個人発信が細かくあるので、それを追いすぎるとまるで他人をわかったように錯覚してしまうこともあるかなぁと。
とくに自分は心配性なので、人のことを気にしすぎると、心配になったりしてしまうかなぁと。
確かに誰かを知る為にはいろんな側面を知っていた方がいいのですが、ただ無差別な広範囲の相手に発信されるものには制限された形や、一側面が強調された形なんかもあります。
そうした情報を取り込みすぎると、かえって混乱したり、情報過多で自分がぶれることもあるので、自分の場合は程々がいいのかなと。(汗)
やっぱり面と向かったやり取りと、文字や映像声だけの受け取りでは得られるものも違いますし、どちらがいいとかではなくて、どういうバランスでそれを得るそして知るかかなぁと。
ネットで元気そうな人でも、現実はそうでもなかったり、会っているときはいい人が、ネットではあんまりよくないことを言っていたり・・
自分は作るのがめんどくさいので、どちらも同じ感じで過ごしていますが、それでも多少の違いやその場の使い方の違いによる差異はあります。
例えば、このブログは比較的明るいというか、ディープでない感じにしようというのがあったので、比較的軽めです。
というのも、万人の目にするものに、コアな話は正しく伝えづらい上に、やっぱり文字の世界は誤解も多いので。
それにブログのようにある程度まとめた形で話を書くときにはそうした形にしやすいというのもあります。
例えばこれが思い付きを呟くようなものだと、そもそも断片情報な上に、構成もしにくいので、メモ的なものになるのかなぁと。
思い付きはまとまってないですから、より誤解される可能性も高いですし、メモを書くようにしていくと、実は話しはじめと終わりで意見が変わっていた。なんてこともあります。
だから、あんまりそういう断片情報を目にして真に受けすぎてしまうと、全体の意味がわからなくなったり、誤解しか残らないことにもなりかねないなぁと。
このブログも、翌朝には考えがまた新たになっていたり、つい気持ちが高ぶって強く書きすぎたなぁと後悔することだってあるかもしれません。
大きなくくりでは、毎日のことは、毎日変わっていくもので、時には目から鱗な出来事で気づかされがらりと考えが更新されることだってあると・・
文字が少なければその言葉たらずで意味合いの違いが生まれるあたりは、人のブログにコメントするときとかに気になったりしますが・・
そう例えば、前に歌声について何か書いたときに、高音が好き的なことを書いたことがあったきがするのですが、別にその人の声は元々高いわけでも、音域が広いわけでもなくて、たぶん話す声を考えるとむしろ高音は出しにくいとも思えます。
けど、それを短い文字数で書くと、高音がすごいとか、いいとか、好きとかになって、まるで楽に出せて素晴らしい的にも捉えられてしまいます。
けど、本当にいいたいのは、
そういう、ほんとは出すのが大変なのかもしれない音域を、頑張りや、熱情で、叫ぶように、気持ちを響かせるその力と思いが魅力的で、ただ歌うのではない、声の力や思いの力に魅せられている。ってことだったりします。
喉の声帯だけで出す声と、全身から振り絞るような声とでは、印象が全然違う気がしますし、結果それが魂の叫びのような心に届く歌声になっていたり、はかなさや、壊れそうなさびしさのようなものをまとった歌声になったりするんじゃないかなと。
もちろん、歌の内容でその意味もかわりますが、届きにくい思いを届けたい力、みたいな・・
と、まぁこれだけ書くと最初の短い感想とは全然意味が変わってくるんじゃないかなぁと思うのです。
ほんとはどちらも同じ印象からの同じ意味合いで使ってはいるのですが、見た人の受ける印象、さらには自分自身でも漠然としていた部分がより明確になったりして、文字数の違いで全然違う効果があるように思います。
本当はそれをまた短くまとめるべきなのですが、なかなかこれは難しくて、自分レベルではどうバランスをとって簡単な言葉でまとめるかがなかなかうまくいかないなぁと。
と、そろそろ長くなってきたこのブログ記事も実は思い付きで今回書いているのでなんもまとまっていません。
ここらへん、スマホで書くかパソコンで書くかでも違いはあるのですが、まぁそれはさておき、すっかり忘れ去られていた書き出しにもどると、
こうした文字の断片やら人の行う様々な発信は自分自身のキャパを越えないようにうまく制限しないと、本質を見失うかなぁと。
特に自分の思いばかり強大になると、バランスを欠きますし、それになにより、人のことを一から十まで全部見ようと知ろうとし過ぎるのもつまらないかなぁと。
本人から聞きたいこともあるでしょうし、足りないぐらいがちょうどいいこともあります。
何でも知っていたいとは思ったとしても、知らないことからくる人の魅力もあるかなぁと。
なにより、知らないことがあった方が、より知りたいと思いますし、相手に対する好意的な気持ちも続きやすいのかなぁと。
例えば、人生のパートナーや、恋人でも、毎日新たなことを知っていく余白がある方がなんかいいかもなと思います。
もちろん盲目なまま相手を選べとか、隠し事がいいって意味じゃなくて、
わかったつもりにならないで、相手をよく知りたいと思える知ろうとできるバランスを持っていたほうがいいかなぁと。
まぁ知りたい気持ちはやまほどあるんですけどね。(笑)
特に好きな人のことなら知りたいと思うのが人間だろうとも思うので。
なんとも矛盾なじれったさが人間なのかもですね・・。(汗笑)
※とりとめもないまとまらない話なので、細かいところや話の変遷は許してくださいませ。