最近一番悩んでいる、というか治療の根本はこれなのだろうな、と思いながらスムーズにもいかない問題にも感じます。

 

まず、自分が安心できる環境、信頼できる人に話を聞いてもらう。

話している内に急激な感情スイッチ、又は離人、が起きても

 

「ここは安全で、昔のようにはならないから、話しても大丈夫。話せることからで大丈夫。苦しい感情を抱え続けることは、辛かったね」と、安全から離脱しきらない環境・人がいてくれること。

 

その中でカウンセリングやら、相互理解をすれば順によくなることは理解できるのですが、、

このとき、

「離人の理由がわからない!」

「言葉にしようとしてもうまく言語化できない」

「言語化できても、離人になると「世界への膜」があって、自分は外側の世界で・・などと言っても伝わらない」

 

と思い、わかりやすい例え話で旦那に伝わるように私自身考えているのですが、、

 

 

(極端な言い方をしてしまうと)

 

「戦時中は銃がいつ降ってくるかわからなかった。だからみんな気の休まる思いなどできなかったと思う。昨日友人だった子供が、今日は敵兵士に殺された。明日は我が身だと思って毎日いきている。殺さなければ、心を麻痺させ銃を手にとらなければ、私は死んでしまう。

今は銃も戦争も日本国内ではないけれども、もし戦争のある国の人がある程度の平和のある日本に移住してきたら、銃が降ってこないとわかっていても身構えるだろう。

恵まれた環境に置かれたはずなのに、銃をベットの横に置き、死んでいった戦友を嘆くのではないのだろうか。

そうして何十年も苦しんで、ようやく「安全」を理解するのではないか。

逆に、かなり突飛な話になってしまうが、日本人が戦時中の国に放り出され、彼らの代わりに銃を取ることになったら?結局そうなってみなければわからない。生き残るために銃で戦うか、パニックになって逃げだすか、わからない。そう、わからないからこそ、想像力を働かせてほしい。」

 

 

なんて、自棄酒を飲みながら抑圧をぶつけてしまいました。

精神病になったことのない人に、どう伝えたらいいのかわからず、結局私は彼を追い詰めることをしているのだと思います。そもそも、医療に詳しくない、更に、病態のわかりにくい解離のことは、旦那ではなく、カウンセラーに話すことに重点をおくべきだとは思います。ただ生涯を共にする中、

「こういった私の考えは考えすぎなんだろうか?」「これは不安に感じなくて大丈夫なことなんだろうか?」と相談、分析や新しい発想が欲しいことも事実です。

 

 

解離当事者の方、身内の方にはどこまで、サポートやら話をしてもらっていますか?

よければ教えてください。

 

母は、いつも快活なひとだったように思います。

いや、本来は、快活で周りによく気が回る人なんだろうと思います。

 

だけれども、いつが母さんの人生の転機になったのかはわかりません。

男、なのか父特定なのか、人を憎むようになりました。介護の仕事ということもあり、最近は仕事でそのエネルギーを使い果て、疲れ食べ眠る。

 

母と昔(18歳まで)どんなことを話したのか、ほとんど覚えていません。

食卓を囲みながら話していたのは、恐らくテレビの内容で。

家から次第に離れて行った父のことは暗黙の了解で、話の内容にあがらず。

私よりも現実的な話のできる姉には「今父はここにいて、このくらいの借金がある」

と語っていた様子です。

結局私に離婚の経緯は今でも殆ど語られず、苗字が変わるときだけ、「手続き面倒ですがお願いね」なんて言われたような。

真実が知りたかった私は、中学にあがってからというもの、いけないこととはわかりつつも、父と母のメール履歴を漁っては、「明日は殴り合いにはならない」「明日はまだ離婚にならない」と安心の予定を立てていました。

 

覚えていないというだけで、私の記憶の蓄積の中には母との優しい記憶も断片的に残っているとは思うのですが、母に「愛されている」「認められている」とうれしくなった記憶は、やはり見当たりません。

 

 

 

母Ⅱに続きます。

導入剤を飲んでから暫く経ち、今日は眠りにつけない模様。

 

幸い脳内は比較的冷静で、一時期は「眠れない!私が病んでるからか!眠らないとよくならない」と不安・焦りと・・、躍起になったものですが、今はもう、「眠れなくても仕方がない、眠くなったら眠ろう」と受け入れられるようになりました。

 

昔頭をぐるぐるしていた考えは、いつも、「本当にそれでいいのか?」

「本当にそれで納得できる?」

「母さんが泣くぞ」

「父さんは自殺するかもしれないぞ」

「それでまた母さんが父さんを殴るんだ」

 

大人の年齢になっても、いつまでたっても「本当にそれでいいのか?」

 

薬を飲むにしても歯を磨くにしても、人と会話するにも一人で妄想に耽るも、

「本当にその考えは正しい根拠をもって、構築されたもの?」

「自分ひとりで考えているのだから、誤差が生じるよ」

「でも、それでも本当にその答えが、今の私にとって正しいの?」

 

私はいつも繰り返している。

過去の間違いをもう一度侵しても、受け入れられる心の準備を。

「母さんの悪いところを再演するな」

「子供の頃の私の感情を再演するな」 

 

いつもいつも頭の中で繰り返している。

→再演、とは反面教師にすべき行為、を逆に自分が冒してしまうしまう。悪循環のループにはまる、ということ。

身体の信号としては至って自然な行為らしい。親鳥から優しく餌を運び込まれ愛を感じた鳥。親鳥からつつかれ、いじめられることを愛と感じるひな鳥。人は、人がくれた思いやり・思いやりの返し方しか学べないのではないか、と思う。

 

 

過剰な保護、支配、コントロール力。それが父をなくした母の、精神の穴埋め行為だったろうと思う。それを私は長年、「母の不器用な愛」だと誤学習してようだ。

 

親は親なりに苦しみ、親なりに愛を持って私や姉に接してくれたとは思う。

母さんは母さんなりに母親であろうとしてくれただろう。父も。

 

でも思う。母さんが言っていた「世間体を気にしなさい」「常識ある人間になりなさい」

役に立ったこともあったけれど、

両親離婚の際にやった父さん暴力、無視、空気扱い、バラの花を記念日に送られても礼の一つもロクに言わない、あれが常識ある大人のすることだろうか?

あれが母さんのいう「大事にするべき常識」なら、それであんなにも人を傷つける言葉を吐けるなら、私はそんな常識いらない。

 

繰り返す、繰り返す。

「私は本当にこれでいいのか?」

「それが、最善か?」

最近、トラウマ関連のとても良い本に出会うことができました。

 

学生の頃はよく本を読み漁りましたが、病状を発症してから本屋に足が向かわない。

本屋の静かな空間ですら、静かな空間だからこそ自分の神経が張りつめられてしまうのかもしれません。自分が他のお客さんに監視されているような、自分は周りから見たら変な人間なのではないか、と気になってしまいます。

(そもそもおかしいとは、変とはなんなのでしょう。人と違うということの何がいけないのか。今の社会で歪みの一つも持っていない人間などいないのではないか、そんなことはわかっていながらも)

 

トラウマ、AC(アダルトチルドレン)、機能不全家族、最近では地震の影響もあってでしょうか。PTSD、複雑性PTSD(トラウマ)についての本が以前より多く書店にみられるようになった気がします。

本屋に足を運べたのは、自分自身の具合が比較的良かったこともあったのかもしれません。

久しぶりに本屋で少し立ち読みで吟味することができ、「これは為になる本かもしれない!」と。自分の読みたい!という感情を感じることができました。

 

 

いつもは言葉の理解が難しい、頭がすぐに疲れてしまうのですが、語り口調でやさしく書かれてあったこともあり、読了することができました。それに加え、今回の本はトラウマが想起されそうな文章の前には必ず、

「あせらないで」

「あなたが悪いのではありません」

など、読者にまず安心感を与え、本文に入ってくれます。

 

患者本人が読む場合には一章ずつ読むことがお勧めされており、章の合間には精神を落ち着かせる・今ここにいる自分を瞑想できるプログラムが書かれていて、そちらも離人が起こった際などにも役立てられそうです。

 

 

今日もう一度気になった部分を読み返していました。

自分の中で「ああ、こういうことが自分の心・体・脳神経に起こっていたのか」と、すとんと心の荷が降りたような気がします。

 

 

どうしてストレスを感じると意識が離れていってしまうのか、生きている実感が持てないなんて(離人)、ただ自分の心の持ちよう一つで変わるのではないのか。

過去の家庭環境が悪かったからといって、自分で自分を傷つけたり、食事をとることが気色悪く感じたり、他人から思いやりや好意をもらえると申し訳なくなり遠ざけようとしたり。

大きな音を聞くと誰かが傷つけられる・自分も傷つくのではないか、と怖くなったり。

 

最近の一番治したい、何とかしたい部分は、自分のことを純粋に心配してくれる他者に対しても取り繕った定型文会話・反論も何一つしない、自分から話題をふることがうまくできず、従順すぎるいい子に徹してしまい、次第に無意識で言葉をぺらぺらと喋り、人に合わせすぎてしまうところです。

 

 

そういった顔を伺う人間性も、父がいなくなった場所で、母だけでも繋ぎとめようとした子供の対処療法だったのだろうな、と最近改めて感じます。自分の言葉、感情でしゃべらず、母が「これは赤い花ね!と言ったら、私自身には黒い花に見えていたとしても、「赤だね!」と返答する。そう、主治医に言われた言葉を思い出しました。

 

 

過去の影響は自己を形作る大きなものだと私は思います。

 

過去の認識が歪んでいる、悲しいことばかりだったことで、

現在の幸せを「本当に幸せになっていいのだろうか?」「幸せになれても、私は母のように旦那を傷つける人間になるのではないか?」という考えを産んでいるのだと思います。

その一方で、今の私への悪影響は私だけ・親だけ、どちらか一方だけが悪い訳ではないとも思っています。

 

ただ、「自分自身の生きてきた・考えてきた結果」、病状が出た訳ですが、

過去が悪い・私に問題があるというよりも、解離を起こすことによって、

私の本能自体が私をストレスから守ろうとしていたのだけれど、その体の学習機能によって良い意味でも悪い意味でも過剰反応が起きてしまうのだなあ、と少し考えが柔らかくなれました。

 

傷つくことは誰だって嫌なものです。他人であろうと、一時の感情でかけられた言葉であろうと、人は傷つきます。

「役に立たない!」と言われたら、

「どうしたんだろう?」「なにか自分が悪いことをしたのかな?」と考えると思います。

 

 

大人になれば、他人が自分の行動に文句を言おうと、

「あなたはそういう考えなのね」

「でも私はこう思う」「こうしたらもっといいと思う!」

「あなたの言うようにここはこうして、この部分は私の案を使わない?」

などと、境界線や折り合いをつけて考えることができますが、

 

子供の脳はもっと単純にできていて、

「母に嫌われたくない」

「母に嫌われないように頑張ろう」

「母に嫌われないためにはどうしたらいいのだろう?」

と自分の気持ちを箱にしまってその環境に順応しようとするのだと思います。

 

すべては人間本来の自然な防御反応であり、「もう二度と過去と同じ苦しみを感じないため」という循環なのだろうな、という考えがようやく実感できました。

心が逃げたい、辛いのは嫌だと思うと、体は私が思っていたより正直に、そして自覚のないところで、生きるために働きかけているようです。

 

意識が離れてしまうきっかけは、はじめは本当に雲をつかむような、なんとなくの違和感や嫌悪感から生じます。それを見逃さず、言葉にしたり、その嫌悪感に正直になってもいいことを、今後の治療に役立てていこうと思います。

この間の更新から随分日が経ってしまいました。

 

書くことは私の昔からの表現手段だったのですが、一度「書いたところで伝わらない」「書いたところで現状の家庭環境は変わらない」「私にとっての書くことはむしろ逃避、虚言なのかもしれない」と思い、書くことをやめてしまっていました。

 

それでも伯と、ゆるりゆるりと書いていこうと思います。

私のような症状で苦しんでいる、悩んでいる人がいるかもしれない。

その人の、現状への辛さを変える何らかのきっかけになれるかもしれない。

自分自身も考えをまとめられるかもしれない。書いているうちに私自身も、読者の方も昔のことを思い出して嫌な気持ちに襲われるかもしれない。

それでも過去を歪んでいるだけの認識ではなく、客観視して見ることができるようになれば、辛さや過去の荷を1つずつ降ろしていけるかもしれない。

 

 

「本当はこんな気持ちが私にはあったのでは?」

「母も辛かったんだろう、ただ辛いという理由だけで子供に当たるのはいいことではないけれど、そうすることでしか母は自分の辛さを吐き出せなかったんだろう」  等。

 

 

無理矢理にではなく、ツギハギながらも昔の私の記憶を手繰り寄せて、その時の感情を自分の中に吸収しなおし、書き記したいと思います。

 

 

精神障害という目に見えない病気の中でも、なかなか解離性障害というものは、多様に症状が出ること、私本人が病状を発現させたときに「まなざしとしての私」と「今存在する私」とが分かれているため、どう伝えたらいいのか悩みもしますが、

できるだけわかりやすく、私が母や父に語り掛けるように、患者をサポートしてくれる人、伯に語り掛けるように、書いていこうと思います。

 

 

アオ。