人から勘違いされた誤解は、溶くべきか? 否か?

 

私は、溶かない派です。

 

在らぬ誤解をされ、敵対されたりするコトって良くあります。

 

「そう思われたくない」願望を強く持っていると、

 

誤解を説いて関係性を修復したいと、望むのでしょう。

 

 

私はそこを諦めてしまいます。

 

誤解や勘違いをして、敵対すると言うことは。

 

その人から見た私は、良からぬモノと言う下地があったからでは?

 

と思うからです。

 

 

良からぬモノと思わない相手なら、もしも誤解しても

 

自分の勘違いかも? と思い直して敵対はしないんじゃないかな?と思うから。

 

 

誤解は溶く努力をしても、不信感は残るでしょう。

 

或いは、言い訳とも取れるでしょう。

 

だったら・・・その人との関係性は、その後も影を落とすコトは避けられない。

 

影を引きずって関係性を継続するよりは、諦めて誤解を溶かない方を選びます。

 

 

その人の周りから自分が、遠ざかればお互いに嫌な思いをしなくて済むから。

 

 

タイミング悪く、誤解をして。

 

この人は自分の不利益になる、と一度思ってしまったら。

 

その思いは簡単には消えないでしょう。

 

その人の心に、呪いのように残り続ける。

 

あまりにも重くて・・・そんな呪いは、背負えない。

 

 

その人の半径から、

 

遠ざかって気配を消しますので、どうか・・・その呪いを忘れ去って消えますように。

 

祈るとします。