今日の徹夜
今、僕は明日のテストのために勉強をしてる。一夜漬けというものはあまり良い行いではないが点数が取れれば何の問題のないことだ。 最近、勉強のモチベーションがすごく湧いている。ブログで話していないが前回の告白は失敗に終わっていて、返信は「今はまだ、ごめんなさい」だった。この出来事が今の僕を勉強へといざなう動力源になっている。自分でもよくわからないがすごくすごく勉強に打ち込めている。普段からあまり勉強をしていなかったから時々、別のことに気を取られてしまうこともあるが、勉強がとにかくやりたいと自分の感情のどこかで必ず思い続けている。 失恋というものは形が定まっておらず、失恋というものに潜んでいる力も未知数であると思う。 自分は今、何をやっているのだろう。自分はなぜ部活をしていないのだろう。自分はなぜ彼女の一人もいないのだろう。なぜ自分には他人がもっているものを一つも持っていないのだろう。こんなことも考えてしまうのだから失恋というものの影響力は凄まじいものだ。 周りのみんな何を思っているのだろう。小さい頃の僕はこんなことを考えていた。世の中は自分を中心に回っていて、ほかの人間は自分ほどいろいろなことを考えていないのだろう。自分以外の人間は、特に何も考えていない、ただの僕の形をかたどった人形なんだと、そう思っていた。だけどそこにも例外が存在していて。父親、母親、その他諸々の親しい親族はこんな単純な人間ではない。自分の好きな人間が単純なはずはない、そう思っていた。だけど、今となっては、出会わなければただの人形だったはずの人間が今、自分にとっての好きな人であり、忘れることのできない大切な人生の登場人物となっている。友達だってそうだ。出会わなければただの他人だったのだ。本当におかしな話である。なんで世の中はこんなにも面白いことであふれているのだろう。なんで人間の命には寿命があるのだろう。なんで人間は限られた時間の中で限られた人間としか出会うことができないのだろう。 人間はなぜこんなにも知能の発達を制限しているのだろう。もっといろいろなことをできるようにしたら人間の可能性は広がり続けると思うのに。