以前にも書いたように、特捜最前線というドラマは女優さんの演技に説得力があり、それが我々の生き写しのように描かれているところが他のドラマとの決定的な違いだと思う。あとで知ったことだが、この話を担当する石松愛弘(本編では別名)という人は、いわゆる悪女を描くことに長けているということである。さてこの話の内容は省略するとして、一編完了ドラマには、ドラマの終わらせ方としてハッピーエンドとビターエンドが存在する。ラブストーリーであればもちろんハッピーエンドはふたりが結ばれる、ビターエンドであればふたりは別れるかどちらかが死ぬ、または苦労が報われないモヤモヤエンドなどがある。その中間に、仮にニュートラルエンドがあるとするならば、この話はそれである。この話は、ふたりが結ばれることもなければ、別れる(恋愛不成就)でも人が死ぬでもない。かと言って、再三の忠告にも関わらずここに出てくる歌手は芸能界にカムバックし、再び中毒になる、とも言っていない。この話の最後は、「故郷に帰る」と“船村刑事が”青年に伝えているだけである。ラストシーンは言葉はなく、東京駅へ向かう車が映るだけだ。ニュートラルエンドというのは、答えがない終わり方であり、視聴者の推測で終わらせるものである。疑問が次々と浮かぶ。船村刑事の言ったことは本当なのか、芸能界という華の舞台で活躍してきたしかも20歳そこそこという若さあふれる未来はこれからという彼女が、あっさりと田舎に帰れるものだろうか、たとえ東京から電車に乗ったとしてもその先は芸能人の憧れのアメリカへ向かう空港ではないか、などなど。車の中の物言わない彼女は、青年が命がけで守ってくれたとはおそらく思っていない。反面、青年はたぶんノスタルジーに浸るだろう、自分があの子を守ったのだと。しかし彼女は自分のために使えるものはすべて使う、そんな人間だ。おそらく芸能人は皆そうだろう。この使えるものはすべて使うという論理は、特捜最前線第100話のレイプで悲惨な形で出ることになるが、世の中のまさにアルアルである。人間は自分のためになることなら鼻息が荒くなるのは当然のことである。だから、我々はこの彼女に対して悪い感情は持てない。子どもの頃なら、この青年が哀れとも思えただろうが大人になるとこの青年こそ非人間的である。こんな純な人間はいない。いても行く末はストーカーである。まして人に良いように使われた経験がある人間なら、多少でもこの彼女の気持ちはわかるのではないだろうか。と、ダラダラと書いてしまったが、なにげに説得力があったのが「課長はあの悲鳴を何とも思わないのですか?」と言った婦警の言葉である。意外とさらりと終わったが、重要なセリフだったような気がする。そして左とん平、友情出演て誰の友情www。話と関係ないにも程があるw。