プロサッカーのビデオアシスタントレフェリー、現代サッカーでは常識となっているが、ノルウェーのリーグはこのシステムを廃止したという。おそらく、フットボールのゲームの醍醐味を優先した結果であろう。これは非常に称賛すべきことだと思う。先日、ヨーロッパチャンピオンズリーグを見ていると、ACミランの試合でミランが3−1とリード、交代選手の16才の選手がゴールを決めた。史上最年少でのゴールと思われ、その選手はもちろん、周りの仲間たちも祝福、サポーターも大騒ぎ、さらには敵の選手たちもあきらめて誰も彼もがお祭り騒ぎに。ところが、数分後、審判がVARと交渉の結果、ゴールはオフサイドと判定され、何もかもが水の泡となった。決めた選手は試合後、悔し泣きをしていた。周りの選手たちも慰めていた。ここで再三問題になるのは、相手さえ文句も言わない試合もほぼ決まっていたゲームで、VARの出番は本当に必要なのかということである。周りすべてが祝福しているひとつの絵が、コンピューターがぶち壊しにするという愚行である。別にミランのファンではないが、審判はそこまで審判しなければならないのだろうか。これを防ぐなら、野球のようなチャレンジシステムである。文句があればVAR申告をする。手っ取り早く言えばそれが良いが、そもそもサッカーにタイムアウトはない。だからそれはできないであろう。ならば、人間的な感情を大切にすべきことは何か。究極にはノルウェーのような廃止だろう。サッカーのゲームというドラマに、機械が入り込む余地はない。果たして先進国とは何なのだろうか。デジタル進化していることは、本当に正しいことなのだろうか。もちろん途上国にVARは持ち込めない。しかしノルウェーという先進国がVARを廃止するということは、日本は見習わなければいけないことであり、日本が絶対できないことである。なぜならありもしないプライドが高いからである。すべてがアメリカに前に倣えである。VARがある限り、伝説のゲームは生まれない。今から100年後も語り継がれるのは、変わらずマラドーナの神の手であり、ハーストのライン上のゴールであり、クライフでありペレであろう。そして、コンピューターが人間を支配する時代になる、無念である。