パリが芸術の街となったのは、パリ万博を境としてパリに浮世絵が販売され、それがきっかけでヨーロッパ中から若者達が集まり、そして美術やファッション、デザインなどに新風が沸き起こったのが発端である。
若く貧乏な似顔絵描きたちは稼いだお金で夢中になって浮世絵を買い求め、浮世絵を模写することによって芸術性を学んだ。それまで西洋では絵といえば宗教画や似顔絵ばかりだったが、それから脱皮し生まれたのが後に印象派と呼ばれる絵画だったのである。
●四百枚もの浮世絵と
生涯貧しい生活を送っていたゴッホ
浮世絵は十九世紀の後半、ヨーロッパで大流行し無名時代の印象派の画家であるモネ、マネ、ルノワールやセザンヌ、ゴッホやゴーギャン、ロートレック等に多大な影響を与え印象派誕生の発端となった。
世界的に最も高い評価を受けているゴッホは生前貧しかったと言われているが、四百枚もの浮世絵をコレクションするために生活を極力抑えて浮世絵を買い続け、貧しく苦しい生活をしてきたといえるのであって、人々がゴッホに対して思っている貧しさとは違うのだ。
パリ時代のゴッホは浮世絵を模写し、浮世絵を売買することによって得た利益で夢中になって浮世絵を買い求めコレクションしていたのである。当時は印象派と呼ばれた新しい絵画はヨーロッパでは支持されなかったため、ゴッホの絵画は生涯売れることなく貧しい生活を余儀なくされたのである。オランダ人であるゴッホは日本の文化である浮世絵を理解し、富士、桜、芸者を描くことで日本に想いを馳せ大切にしていたのである。
時代が変わりゴッホが評価されたのは、ゴッホの絵画が美術家たちによって評価されたのではなくゴッホの書簡が発表され、それがひとり歩きして知名度が高まったのである。ゴッホは浮世絵から芸術性を学び売るための絵を描かなかったのだ。それ故ゴッホの残された二百点の絵画は売れ残りの絵ではなく芸術のための絵であったため、一個人の画家の作品がオランダの国立美術館を創り出したといえるのである。オランダという国は自国の文化としてゴッホを誇りに思っているのだ。
●ゴッホ研究家歌川正国画伯、
世界でセンセーショナルを巻き起こす
「浮世絵はゴッホをはじめヨーロッパの画家たちに大きな影響を与え、印象派誕生の発端となった日本のすばらしい文化です。ジャポニスムは日本趣味と訳されていますが、美術様式、画家の人生、西洋文化への影響の大きさなどから日本主義というべきです。」歌川正国画伯は浮世絵の再評価を進めたいとの思いで展覧活動「歌川正国絵画展覧会」を開始したのである。
一般的に美術館は何処でも二~三年先までスケジュールが決まっているのが当たり前だが、「歌川正国絵画展覧会」に関しては各国とも異例ともいえるスピードでの展覧となったのである。展覧会場では観客の浮世絵に関する人気もさることながら、歌川正国画伯の作品が話題の中心となり、一日千人を超す人々でにぎわい、それが一ヶ月以上も続くというあまりの人気の高さに延期までした展覧会会場があったほどだ。
■日本やアメリカ、ヨーロッパの新聞各紙は一面や文化面で大きく取り上げた
歌川正国(五位野正)画伯 (ロシア芸術アカデミー名誉アカデミシャン)
歌川正国画伯は画期的ゴッホ研究を基に全く新しいアプローチから「生老病死の四部作や文字の謎を解明するシリーズ、ゴッホの夢を叶えるホッホの南無仏への旅立ちシリーズ」を描いており、見ているだけでゴッホをとりまく人々、弟テオや娼婦シーンの心情、さらに彼等に対する歌川正国画伯の想いまでが伝わってくるのだ。それを感じとった時、はじめてゴッホ自身の作品も自然と理解できるようになり、知らない間に絵画とは何かまた、芸術とは何かが解るように巧みに構成されている。歌川正国画伯のゴッホ研究によって真のゴッホ像がうかび上がり、世界のゴッホ研究に新しい扉が開かれたのである。
■オランダを訪れた時の石塚編集長
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