6/19放送 SONG STORIESに送られたメッセージへの章ちゃんの言葉が自分にとってタイムリー過ぎて。今このタイミングで聴けて良かったなと思いました。


今月初め父親が急逝しました。
亡くなる2日前に実家に行って元気な顔を見て、帰りはいつものように握手をしてまたねって言ったのに。
冷蔵庫には前日買い物したと思われる食材が沢山入っていて。好きなお酒も煙草も買い足してあって。
当の本人が死んでしまうなんて思ってなかっただろうな。

母が亡くなって6年。入退院を繰り返していた頃を入れるともっとだけど職人気質で今までやってこなかった慣れない家事を頑張っていました。
いつも近所の人が気にかけてくれていて。その日の朝、開いていない雨戸の異変に気付いて連絡くれたのも近所の方でした。本当に有り難かった。
ひとりで逝かせてしまったこと、気付く事に遅れてしまったことにただただ後悔が残ります。この思いはずっと続くと思うな。

亡くなってから知らない父親の一面を知ったりして。
現役時代の大工仕事のお話しや お散歩仲間がいたこと。そして父が亡くなって悲しんでくれる人が沢山いたこと。


亡くなって1週間くらい経った頃。
章ちゃんがトークルームで「1日3回両親に大好きって伝えてる」「伝えたい人に伝えられましたか?」って問いかけがあって。。伝えられなくて悔やんでる。もう触れることが出来ないのは寂しいって返信してしまったんだよな。


そして昨晩のSONG STORIESのコメント。。
終わりが未来だとしてもどこか心が寂しかったり絶望のように感じたりするんだと思いますね。
僕は少なくとも`メメントモリ'死を思えという言葉のおかげで終わりというのは必ずくるし、終わりを悲しむのであれば生きている今を楽しもう、そして今を喜ぼうって思うようになってて。
語弊があって欲しくないけども、これね、なんか父と母が亡くなる事は当然悲しい事だと思うし起こって欲しくない事なんだけど、父と母が死んでしまってもただ生きてる場所が変わるだけだって僕は凄く感じていて。まぁ直接的、声は聞けなかったり肌に触れれなかったり、生きてるうちは体温が暖かくて。亡くなって葬儀に行けば、頬に触れれば冷たくなってより実感したり悲しくなったり、泣いてしまったり怒ってしまったり、許せない気持ちに見舞われたりするんだろうけど。けど、死ぬんだよね…。
なんかそれが達観してるって言われてしまえばそうかもしれないんだけど、達観してるつもりもなく。んー亡くなるから産まれてくるものもあるんだよな、とか。で、僕は病気をしたから正直死んでしまうことにあまり恐怖がない。だけど周りが辛いと思う。だから自分は死んでも良いなんて言葉を口にはしない。だけど、いつでも覚悟をしている。んーその時が来て、いつ明日来ても良いように、この数時間後来て良いように一生懸命色んな事をしてる。だから父と母にも、もし去ってしまったとしても出来ることを今最大限やってるから満足してるので行ってらっしゃいって言えるんだと思うみたいなことに感じてる。

この言葉が毎日メソメソシオシオしてる私のココロにお水を注いでくれているようで。有り難かった。

で、6/20のトークルームのおはようにラジオのお礼を送って。
その次に来たトークルームの言葉にも元気を貰って。
章ちゃんの言葉に背中をさすってもらってます。

まだまだ喪失感は無くならないけれど
少しずつ穏やかを取り戻せたらと思います。








おやじ大好きだよ(*´ー`*)