《お寿司を持って走る少女》
※思い出したことがある
5歳のいたいけな少女の頃、私は渥美半島に住む祖父母の家に行った。
時は夏。
写真は、今の私と同じ年齢の祖母。
聡明な赤ん坊が私。
オシャレをする母(私を抱いている抱っこ紐までオシャレ)。
私が一緒なので、何でもない家族写真が3割増している。
この赤ん坊から何年か経った頃の話。
当時、祖父母の家には井戸があった。冷蔵庫もあるのだが、スイカは井戸で冷やすのが当たり前。
丸のままのスイカは井戸で程よく冷えた。
井戸でプカプカ浮くスイカは、これからしばらく後に、甘い汁が喉を潤すであろう事を連想させた。
楽しみで楽しみで、何度も何回も井戸に足を運んでは、スイカを確かめに行った。
その間、五右衛門風呂に入った。
五右衛門風呂はキチンと立たないと、蓋が底まで上手く沈まず、大騒ぎになった。
底は灼熱地獄なのだ。
その頃は、風呂って言ったら湯船近くに熱源があって、それに誤って触れると容赦なく火傷になる。
風呂に入るとは、身を縮めると言う事なのだ。
手足を伸ばして風呂に入れるのは銭湯だけだ。
内風呂が家にあるのが、当たり前でない時代の風呂なんて、自慢したって、火傷と背中合わせに存在するものなのであった。
ある日、いとこ達と一緒に八百屋に行った。スイカを買うのだ。
その頃、負けず嫌いで身の程知らずだった私は(今は美しく上品になった)、スイカを一人で持つと駄々をこねた。
仕方ないので、いとこは私にスイカを持たせてみたのだ。そうしないと、私がおさまらないのを知っていた。
三歩も歩かない内に、スイカの意外な重みに耐えかねた私は、あっさりスイカを腕から外した。
当たり前と言えば当たり前なのだが、木っ端微塵とはこう言う事かと思った。
そりゃ海水浴でスイカ割りするわな。
とか冷静な頭は考えた。
土にまみれたスイカをそれでもみんなで拾って祖父母の家まで運んだ。
今でも覚えている。スイカがスローモーションの様に私の手をすり抜けた日の事を。
割れた瞬間のスイカが真っ赤に熟れていた。
ツクツクホーシが鳴く夏の終わり。
涙と鼻水と大泣きに泣く私の姿。
もう、こうなる事は分かっていたいとこ達に、黙って手を繋がれて、山道を下った。
このスイカが井戸で冷やされることがない悲劇を想像出来なかったのは、私だけであった。
スーパーで、一番大きな丸い桶風のプラスチックの容器に入ったお寿司。多分税抜き1980円。まだ半額ではなく正規の値段で買ったであろうお寿司。
自転車で少女の後ろを追う親。
慎重にお寿司を持ちながらもはしゃいで走ってしまう少女。
この後に悲劇が起こらない様に、私は神に祈ったのであった。
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