天才を枠にはめようとする事は、左利きの人が右に転向するより難しい。
赤ん坊をせっかく産んだのに、産んだその日から立って歩き話が出来てトイレに行ける日を目指すのである。未経験なのにお母さんならして当たり前とか言われてる。産むのが大変過ぎる。そんな体験をしたら急に母性湧いてくるでしょ?とか言われても困る。
天才を潰すのは、ズバリ親である。この世には、世間の常識と言うものが存在する。
親と言う生きものは、何かとこの世間の常識と言う枠に子供を閉じ込めたくなる。
それが一番安全安泰な道だから。
親とて、生まれた時から親ではなく、色んな時代の色んな時間を過ごして来た。その中で、必ず自分や世間に対しての反抗を行なって来た筈だ。
そして、導き出した答えは、反抗しても何も良い事はない。面倒で疲れるだけだ。である。
自分が、これが幸せ。これこそが幸せ。と導き出した答えに、自分の身体から出て来た無垢の存在を導くのが親としての責任と行脚するのであろう。
世間とかの枠に入れ込むのが、親の一大事業になる。
日本には義務教育と言う存在がある。
順調に育てば、人間6年で集団生活出来る筈だと言う曖昧な基準で、義務教育が始まる。
親は国が決めたその基準に合わせるために、のんびり可愛がってなんかいられない。
そら!立て!歩け!喋れ!トイレを使え!あれするな!これするな!
ねっ?大体2年くらいでこれ全部出来ないと、変な振り分けがなされて義務教育に関しても知らない振り分けがなされる。
生まれて6年の間に色んな振り分けがなされる。これに気が付いたのは、親になってからである。
しかも上記に書いた一連の話は実際1年で成就させろと言われてる。
親になって、ふにゃふにゃな可愛我が子が実はふにゃふにゃではダメで、3ヶ月になったら首が座り6ヶ月になれば腰が座る。その後はいはいをして立って歩く。
首座るって意味が分からん!
それと同じで目が座るも分からん!
膝が笑うも分からん!
赤ん坊をせっかく産んだのに、産んだその日から立って歩き話が出来てトイレに行ける日を目指すのである。未経験なのにお母さんならして当たり前とか言われてる。産むのが大変過ぎる。そんな体験をしたら急に母性湧いてくるでしょ?とか言われても困る。
とにかくお母さんは頑張って枠に入れるのだ。だってお母さんだって訳わかんないんだから。取り敢えず、自分の子供だから、きっと自分っぽいに違いない。それ以外は全て、夫側。分からん事は全て夫側。
そう言った事で、世間の規格から超はみ出していた私は、
歌も上手い!
習字も上手い!
絵も上手い!
ピアノは先生も舌を巻くぐらい上手い!
だったのに、枠に閉じ込められてしまった…。
残念だな〜。