can, will, shallといった助動詞は、could, would, shouldといった過去形によってへりくだった表現や、弱い意志を表現したりしますが、なぜそのような表現になるのか、各助動詞の本来の意味を考えながら、探って行きたいと思います。
will - 意思
willというのは基本的に、その文章の話者の現在の意思を表す助動詞です。
I will go there. 私はそこへ行く(と私は考える)。 -> 私はそこへ行くつもりです。(意志)
He will go there. 彼はそこへ行く(と私は考える)。 -> 彼はそこへ行くでしょう。(単純未来)
上記は、学校教育での文法上、意志と単純未来に区別されますが、私の考えでは、両方ともgoという「行って無い状態から行ってる状態への変化」の発生に対する「話者の意思(考えや思い)」を話しているに過ぎないということです。I will go there. は話者本人の意思なので「意志」になり、He will go there. は他人の事についての意思なので「単純未来」になる。結局は、話者の意思を表現していると考えることができます。そして、willの過去形であるwouldは、過去にそういう意思があったことを表現しています。
I would like to go there. 私はそこへ行きたいと過去に考えていた。(もちろん、もし可能であれば今でも行ければ行きたい。)
wouldは、will(意思の存在)状態からwillでは無くなる状態への変化を表しています。そして、その意思は過去に存在していたのですが、その意思が無くなった現在でも、その余韻として「弱い意思」は未だ残っていることを間接的に表しています。要するに、過去の状態を話して、現在の状態を推測させている回りくどい言い方になっています。(通常の動詞の過去形と同じ考え方です。)日本語で言うと、「あぁ、そこ行きたいな。」と「あぁ、そこ行きたかっんだよなぁ。」の違いですね。現在の気持ちを考えると、どっちも、やっぱり「行きたい」のです。
このwouldの文に、if文を従属節として付けることによって、「弱い意思」が「仮定に対する意思」を表します。所謂、仮定法過去ですね。これは、「弱い意思」の応用的な表現と考えられると思います。
If I knew her address, I would write to her.
手紙を出そうと考えた、彼女の住所を知っていたなら。(もちろん、もし可能であれば今でも手紙を出したい、(可能な条件は)彼女の住所が分かったら。)
これは、wouldが話者の「現在の弱い意思」を表し、その意思が弱い理由(強い意思になるための条件)をif以下で説明している、要するに「仮定に対する意思」になるというわけです。
上記のようにwouldは基本的に「現在の弱い意思」を表現し、その文が明確に過去を説明している文である場合は「過去の意志」、if文により仮定を表している場合には「現在の仮定に対する意思」を表すということになります。
ここで、なぜif文の従属節が過去時制になるのか?という疑問が湧いてきます。これは、厳密には主節が過去時制だからです。一瞬「彼女の住所を知ってる自分」を想像して「手紙を書く」という意思を持ったのですが、この一連の妄想は、彼女の住所を実際には知らない現実に戻った状態で既に過去の事だからです。
ちなみに、「過去に思っていた仮定に対する意思」(現時点ではその仮定は現実にはなりえない場合)には、従属節がif過去完了形(過去に完了形だった状態によってその仮定が発生し得ない事を表現)となり、主節は現在完了形(その意思が妄想から抜け出した状態で完了している状態、余韻がない状態)となります。所謂、仮定法過去完了です。
If I had known her address, I would have written to her. 私が彼女の住所を知っていたら、手紙を出していただろう。(実際には出す事は無い。)
would + 現形 = 「現在の弱い意思」
would + 現形 + 過去を示す補語句 = 「過去の意思」
would + 現形 + if過去形 = 「現在の仮定に対する意思」(今後ありえる)
would + 現在完了形 + if過去完了形 = 「過去の仮定に対する意思」(今後もありえない)
ついでに、mayとの違いは何でしょうか?
It would be fun.
It may be fun.
どちらも、「楽しいだろう」という意味ですが、wouldは「弱い意思」、mayは「可能性」を表しているので、
It would be fun. それは楽しい状態だと過去に考えていた。(過去は絶対楽しいと考えていた、今でも多分楽しいだろうと考えている。)
It may be fun. それは楽しい状態の可能性がある。(100%楽しいとは言わないが、楽しい可能性がある。)
アプローチは違いますが、同じ様な意味になりますね。
can - 可能意思
canというのは基本的に、その文章の話者の可能意思(100%)を表現する助動詞です。
I can go there. 私はそこへ行く(ことが(100%)可能と私は考える)。
He can go there. 彼はそこへ行く(ことが(100%)可能と私は考える)。
couldもwouldと同様にcanの過去形になります。
Can you pass it? Could you pass it? どちらも「それ、とってもらえますか?」ですが、canは現時点での可能意思を表すのに対し、couldは過去の可能意思を表します。
Can you pass it? 「あなたがそれを取ることが、可能と考えて良いですか?」
Could you pass it? 「あなたがそれを取ることが、可能と考えて良かったですか?(ちょっと頭を過ぎっただけです。今はもう考えてないですよ。滅相も無い。でも出来れば。。。)」
これも回りくどい言い方ですね。。。
couldもwouldと基本的には同じです。
could + 現形 = 「現在の弱い可能意思」
could + 現形 + 過去を示す補語句 = 「過去の可能意思」
could + 現形 + if過去形 = 「現在の仮定に対する可能意思」(今後ありえる)
could + 現在完了形 + if過去完了形 = 「過去の仮定に対する可能意思」(今後もありえない)
shall – 必然意思
shallというのは基本的に、現在の話者の必然意思を表現する助動詞です。
I shall go there. 私はそこへ行く(ことが必然と私は考える)。
He shall go there. 彼はそこへ行く(ことが必然と私は考える)。
I shall never forget your kindness.
私は、あなたの親切を決して忘れません。(忘れないことが必然(ほっといても忘れない)と私は考える。)
You should go there.
あなたはそこに行くべきだ。(そこに行くことが必然と過去に私は考えた。当然そうなるべきものだったので、今でもやはりそうすべきだと思う。)
ちなみに、
Shall we dance?
私達、踊りませんか?(私達は踊ることが必然と考えてよろしいですか?(踊るしかない!))
should + 現形 = 「現在の弱い必然意思」
should + 現形 + 過去を示す補語句 = 「過去の必然意思」
should + 現形 + if過去形 = 「現在の仮定に対する必然意思」(今後ありえる)
should + 現在完了形 + if過去完了形 = 「過去の仮定に対する必然意思」(今後もありえない)
shouldを使った文で「仮定法未来」というのを昔習った事があります。
If we should miss the train, we will (would) have to wait an hour. 万が一電車に乗り遅れたら、一時間待つことになる。
これはshouldを含む従属節が、その意思の条件を表していますが、主節の意思が成立するためには、if文の条件が必然的に伴う必要があることを表現しており、shallではなくshouldを使う事でその条件の発生確率が低いことを間接的に表現する文となっています。これは、仮定法過去と同じ用法ですが、その条件の発生確率が低いことから、主節の意思が成立する可能性が高いことになるためwillという「強い意思」で表現する場合があると考えられます。
may - 可能性意思
mayはcanに近いですが、100%可能だと考えている可能意思(can)とは違い、話者の可能性意思(100%では無い)を表現する助動詞です。
I may go there. 私はそこへ行く(可能性があると私は考える)。
He may go there. 彼はそこへ行く(可能性があると私は考える)。
You might go there.
あなたはそこに行く可能性が過去にあった(もちろん、今も過去ほどではないが可能性がある)。
must – 当然意思
mustは、話者の当然意思を表現する助動詞です。この当然意思は、過去・現在・未来に係わらず話者が当然だと思っていることを表現しているため過去形の表現が存在しないと考えます。(mustがそもそも過去形だという話もあります)。 これは、信念を持った自分の意思であり、外圧によって必須となったもの(自分の信念によるものではない)は、have toで表現することになります。外圧によるもの(have to)は、自分の意思と関係無く、過去に必須だった場合や、未来に必須になる場合があるため、こちらは過去も未来も表現出来るというわけです。
I must go there. 私はそこへ行く(ことが当然と私は考える)。
He must go there. 彼はそこへ行く(ことが当然と私は考える)。
I have to go there. 私は(I) そこに行こうとする行為(to go there)を必然的に備える(have)。
この場合は、to go thereという状態(行って無い状態を継続しながら、行っている状態への変化を起こすためにそれに向かっている状態)が必然的に備わっている状態、即ち、話者の意思に関係なく、行わなければならない状態を表現しています。