今日で震災から1年。
横浜にいた私は、停電で真っ暗の街を手探りでアパートに帰り、親や地元の同級生に連絡しまくってた。横浜も停電、ガソリン不足で暫くは大変だった。
親からは4日後にメールが来た。通信状態や電池の関係なのか、それっきり送受信できなかったが生存確認が取れ安心した。
5日後の3月16日早朝、事務所の電話が鳴った。いつもはいない時間の上、私は普段は電話を取らないが、なぜかその時は取った。連絡の付かなかった地元の竹馬の友からだった。彼は第一原発が仕事場だったので、心配して何度も電話したが連絡がついてなかった。驚いた。
後で判ったのだが、携帯電話は津波で流され誰の連絡先も解らず、家族も何処に行ったのか解らない状況だったのだ。基本的に休みのなかった私は、休みが取れるとブラッと地元に帰る。相手の都合に合わせて帰る訳ではないので、地元の友人の所へもブラッと行く事になる。一昨年の夏に帰った時、彼の家に行ったが留守だった。その為、東京の土産物と一緒に名刺を入れておいた。彼は、その名刺を財布に入れていたので、誰の連絡先も解らない、私の携帯番号すら解らない中、藁をもすがる思いで電話したのだ。その電話に、たまたま私が出たのだ。事情を知らない私は、携帯にならまだしも、事務所にかかって来たので驚いた。
命からがら車を乗り継ぎ、何とか水戸まで行ければ電車で横浜まで行く事ができる。家族も探さないといけない。暫く世話になりたいとの事だった。断る理由は全くない。地元の情報が入ってこないので、むしろ話を聞きたかった。夕方、事務所に戻ると彼が事務所に来てた。何もできないが、数日間食事できずに原発で缶づめだったらしいので、チェーン店の安居酒屋へ行った。コンビニ、ファミレス、食堂、個人居酒屋は買占めで物資がなかったので、チェーン店居酒屋は盲点だったかもしれない。普段と変わらず若者が雑談し盛り上がってる店内で、同じ日本とは思えないと涙を流し津波や原発事故の話をした。まだマスコミも詳しい報道はされてなかったので、私にとっては有難い話が聞けた。数か月後に東電が公開した津波や事故当時の写真を公開されたが、彼が撮影した物だったので、東電んの情報の中には彼の情報が元になっている物もある。何度か余震で店が揺れ、携帯の警報が鳴り響き店内がざわめいても、余震に慣れてた彼は涙を流しながら話を続けてた。横浜での毎日の募金活動にも参加してくれてた。
あれから1年.......。
政治を志した以上、勝ち負けではなく、損得ではなく、理念と意思で行動しなければ政治を志した事自体がおこがましいと感じ、地元に戻りで立候補する決意をした。幸いにも同じ地元浪江町出身、しかも政権与党のベテランで現党副代表の代議士の所に世話になっていた事は、復興のスピードを速める上で大いに役立つ。政治の名門で釜の飯を食った事もある。誰にも負けない、この中央との直接的パイプをフル活用できる。田舎の政治体質を再構成するには、この機会を逃したらなくなる。そんな思いで決意した。
選挙という技術的ハードルは、この状況の中では極めて高い事は承知の上。もともと4月に選挙の予定だったので、票は固定され震災時点で当確予想は確定しているようなもの。住民は選挙区には存在せず各地に散らばってる上、避難者には情報は回らず交流が乏しいので固定票をひっくり返す機会も乏しい。地元を離れていたので知名度の上がる速度は極端に遅い。神奈川の選挙準備に入ってたので抜ける訳にはいかず、福島での活動期間は短くなる。友人・知人もどこに行ったか判らない。等々、全て承知の上。
理念だけで、小細工なしの真っ向勝負をし玉砕。しかし気持いい。晴れ晴れしてる。いろんな方と知り合え、震災・事故がなければ人生で出会わなかった人にも、たくさん出会えた。震災・事故がなければ再会する事がなかった人にも、たくさん再会できた。
震災から1年
立ち入り禁止区域の方は、まだまだ当時の状況のままの方が多い。
転々として仮設住宅・借り上げ住宅に落ち着いたものの、そこはやはり自分の家ではない。勘違いしがちであるが、引っ越したのではない。強制移住である。この我が国でそんな事が起きたのである。事前に納得して移転する道路用地の為の収用とは違う。ある日突然だったのだ。明日帰れる、2・3日で帰れると思って着の身着のまま移動して、それっきりである。震災・事故と無縁の地域の方にとっては、ネット上やテレビの中のフィクションと言っても言い過ぎではないかもしれない。
まだ、生活拠点が定まらずに移動してる人も多い。子供の関係で父が単身赴任で母子と別居状態の人達は、仕事を辞め妻子の元へ行くか、泣く泣く放射腺のリスクある中に妻子を呼ぶか、日々悩んでいる。子供の学校を考慮し、年度変わりの4月には移動する家族が増えるだろう。
地震・津波の被災地域と、プラス原発事故地域では、現実を受け入れ前向きに気持を切り替える事が出来るか否かに差があるのは仕方がないかもしれない。前向きになれる拠点が定まらないのだから。
あれから1年。実質的状況は変わってない。なんとかしたい。なんとか。
※ なかなか時間とれなくてブログ書けずゴメンなさい。震災から選挙選までの話も記事にして行きたいのですが、そのうち少しずつ書きます。申し訳ございません。