新しい素敵な人との出会い
3月3日3時
母の病院で、先生・看護婦・栄養士・リハビリ・ソーシャルワーカーさん達と、家族が交えて、今後のリハビリなどの経過を話し合うミーティングがあった。
母が入院したことで、妹とその子供たちの日常が崩れだした。
毎日母の家を、夕方むかえにくるまでの待ち場所として利用するのが、日常だった。
ある日、母の入院の準備で、母の家に寄ってみると、一人姪がいて、何時に迎えが来るのと、聞いてみたら、夜の11時。と答える。
さすがにそれは、ひどいだろうと思い、家まで送った。
ミーティングの日に、そんなに遅くなるまでだんなも、あなたも迎えにいけないのなら、自力で早めに歩いて帰らせればいいのに。ほかの高校生は自分で歩いて帰ってるよ。もう一人の子は学校元気に行ってるのと、聞いて見ると、関係ないでしょと言われました。干渉されたくないのかもしれないけど、こんなに近くに住んでいて、私叔母さんなのにな。とさみしくなりました。母が入院して一生懸命リハビリしているときに、家族がお互いに助け合って、どこがいけないのか、全く理解できない。
マザーテレサの言葉。愛の反対は、無関心。世の中、自分のことで精一杯な大人が急増中。結局被害を被るのは、子供たち。
大腿骨骨折事件
2月17日夕方6時ごろ、母の家に行く。姪が「さっちゃん助けて」って言ってる。
何事かと思い、家に上がると、母が、うつ伏せで足をバタバタさせて、あがいていた。どうしたの、と声をかけると、朝扱けて、捻挫したみたいで、じっとしていれば直ると思ってたとこ。と言い、座椅子におこしてくれと言う。そばに行き、おこそうとさわってみると、これは起こしたり、動かしたりしてはいけない気がした。すぐに、救急車を呼んで、40分ほどの、病院に救急車で搬送された。(T▽T;)
私も生まれて初めて、救急車に乗った。すぐに、レントゲンを撮ったら、大腿骨骨折だった。朝、骨折してだいぶ動き回ったあと、動けなくなりそれでも腕で身体を引きずって、夕方の位置におさまり、夕方までうつぶせのまま、テレビを実ながら、誰かが来るのを待っていたみたい。。゚(T^T)゚。
19日には、手術をして、人口の関節をいれた。
麻酔をして、あっという間だったと母は言った。
それから、みるみる回復をしていき、先日からリハビリ病棟に移された。
私も、当時は毎日母の顔を見に行った。今は1・2日おきに行っています。
今日の母は、最近お腹がすいて仕方がないという。体がはやく回復したくて仕方がないのかもしれない。リハビリも積極的にこなしているようです。
やっと最近携帯の使い方にも慣れ、ものすごく詳しくあれとこれをもってきてを毎日言ってくれてます。すごい記憶力です。ヽ(*'0'*)ツ
ただ、気になるのは、同室の相部屋の方たち。元気バリバリの母と比べ、1日中、ぼーとしている高齢者の多い事。となりの病室も。(@ ̄Д ̄@;)男性も女性も。
これが、多分日本中の病院でおきている現象なのかもしれない。