私は、勝手に母は長生きするもんだと思っていた。
両親に、“蝶よ 花よ”と育てられ、桐の箪笥の引き出しに何重もの絹の衣を着せられて、育てられた親離れ出来ず、子離れ出来ずにいたもので…
父が思いもよらぬ“癌”で、この世をヒューと去ってしまって、悲しみが平穏な日々に戻してくれるかなぁ〜としてた時に、世界中にへんてこりんな病魔が襲って来た。
人は戦犯を決めたがる。
特に地方の方々は、都会に行ってないもの病原菌を持って来たのは都会のヤツラだ。と思ったに違いない。
そうやって、数少ない感染者を罵る日本人の多さに悲しみを感じた。
何にでも、戦犯決めたがるよね。
ホントに、その生き方は間違ってるよ。
家でひっそりしてたのに、何故この町にコ○ナが来るんだ?
あの先週県庁所在地の辺りに行ったあの子じゃないんか?など、犯人探しが始まっていたあの時。
我が家は、のんびり気ままに、家で暮らしてた。
なのに、発熱・咳と家族が一人…
その時はやって来た。
確かに医療関係者たちも何もわからず、右往左往していたに違いない。
しかし、命を預かる者たちよ。
あなたたちは、我が母を「もう助けられません」「お年なんでねぇ」と全く発熱溜めの薬も与えず、トイレがどこだか分からなくてウロウロしたら、せん妄が始まってるとベッドにしばりつけ、そうして栄養失調にさせて殺してしまった…
訴えても良いとも言われたが、そんな事したって母は戻って来ない。
最期も会わせてくれない。
家に帰って来た母は骨になっていた。
私たち遺された者が帰って来ても、顔を隠して、母の死因さえ言えず、隠れて暮らした。
もう日本には何も望まない。