昨日は、鞍馬ハイキングで疲れた次女と、バレーボールで疲れた長女を早々に寝かせて、
私は夜の街、祇園の沖縄料理屋さんへ。
昔の職場の方々と久々に飲みました。
お悔やみの席ではお会いしていたものの、楽しい席での再会は15年ぶり?
そこには私の原点がありました。
今まで生きてきて、頼りになる先輩や上司とたくさん巡り合いましたが、
心から尊敬している上司は数少ないかも。
正直、ずっと「怖い」と思ってました。だから、微妙に距離を置いてました。
それは、一目置いてたのですが、それがいつしか壁になっていたような。
「怖い」というのは、威圧的だから怖いとかではなくて、
できない自分を見せることが怖かった、そんな絶対的な存在だったんだと思います。
なぜか、「私のことは認めてくれない人」だと思っていたので、
だからこそ認めてもらおうと必死だったのかも。
今までなぜ「怖い」と思っていたのかが自分でもわからなかったのですが、
久々にその上司の熱い聞きながら、昔の自分を思い返してみたら、
なんとなーくその謎が解けました。
そして、あの時の私があるから、今の私があります。
その後の別会社(子会社)での仕事も、着付け講師を目指して養成コースに通い始めたころのことも・・・当時のことを思ったら、へっちゃらです。
30才くらいのときに、とても親しくしていただいてた方から、
「まゆみちゃんを作り上げたのは、部活時代とその部署で働いてた時代やな」と言われました。
ほんと、その通り。
25歳までは体育会系で育ったんだなーと。
部活のど根性精神のまんま会社員になり、それこそ超体育会系な部署に配属されて、
当時は、がむしゃらな5年間でした。
26歳以降の会社員生活は、それは楽しかったし人間関係にも恵まれた環境でした。
今もつながっている人はそちらで知り合った方の方が多いです。
でも、25歳までの会社員生活時代は、私にとって数少ない尊敬できる方に出会えた場所です。
そんな私にとって一番怖い上司が、
「この人、和装業界でちょっと有名な人やねん。琉球着物着せてやって」
とちょっと嘘をついてお店の方に頼んでくださいました・笑
ちょっと嘘だけど、なんだか自慢気にも聞こえて、ほんの少し認めてもらえた気持ちになりました。
この着姿は、お店の方やらにべた褒めさえてたけどぶさいくだわ。
でも、記念に載せておきますよ。
そんな楽しい飲み会の終盤、久々に熱唱しました。出血大サービスですよー。
私が会社を退職した後も、「今井美樹は内ちゃん(旧姓内藤です)にしか歌わさへん」と言われていたらしい、今井美樹の「PRIDE」と、
当時、「内藤と言えば天城越え」と言っていただいていた、十八番を2曲セットでお届けしました・笑
夜中の2時半回った今井美樹。久々の高音は、血管が切れそうでしたが、
のどが温まった後の天城越えはなかなかのどの調子もよろしくて、すっきり爽快でございました。
天城越えをもって、会はお開き。
まだまだ話足りなかったですが、みなさんお眠だったので、ね。
私は、鞍馬ハイキング後の夜中の3時過ぎでしたが、なぜか一切眠気もなくて、我ながらタフだな・・・と。
みんなでタクシーのおじさんが安全かどうかを確認したうえで、タクシーに乗せていただきました・笑
タクシーのおじさんとの会話。
タ「みなさんご機嫌でしたね」
私「昔の上司なんです」
タ「やめた後も飲みに行けていいですねー」
「上司の方も喜ばれてるでしょうね」
私「そうですかねー。これも恩返しですね」
とか話しながら、じわーっとこみ上げる物を感じつつ、家路につきました。
この時代に出会ってくれた方々に一言声をかけるとしたら、
「私を育ててくれてありがとう。」ですね。
行く前はちょっと悩んだし、行くって決めてからも緊張しましたが、行ってよかった。
いい時間でした
また明日からも頑張れる。
あなたも一緒に「”簡単×快適”きものlife」を楽しみませんか?