自信と成長
昨日の夜、色々悩んでいたことを10年以上付き合いのある教え子S(先生)に聞いてもらった。いつもは菊川…いや、聴く側だった。ちょっと愚痴を吐いたつもりだったけど彼はそれに彼なりの考えを話してくれた。その中の理論にわかりやすくてなるほど!というものあった。まだまだ半人前だと思っていた。教え子がここまで成長していたことに驚きと喜びがあって、悩んでいることも吹っ飛んだ。思っているより人は成長している。付き合いが少しでもあるとその人はこういう人だ!とある程度決め付けてしまうけど、実は違ったということがある。成長していて変わることもある。自分に自信があると、こういうことを見直すことが出来ない人もいる。まだ新米だった頃と比べて今の自分は決め打ちしてそれを信じてしまいやすい。まぁ当たってることが多いから自信を持って決め打ちするんだけど(笑)当然間違ったこともある。でもそれを認めるときに必ず自信が邪魔をする。時に自信は人の成長の邪魔をすることがある。それは大人も子ども同じ。例えばトランペットのハイトーン。演奏できたら気持ち良くてこのやり方なら出る!と自信を持つがそのやり方がマウスピースを押さえつけて無茶苦茶力んで苦しそうな音なら出る。というそういうのもアリなのかもしれないけど、それはやっぱり直される。しかし自信があるからやっぱりそのやり方から変えられない子は沢山いる。教える側としては生徒が間違っていること正したり足りないことを足す(=教える)時にを説明と実践で教わる側が理解納得するまで伝え実践身につけてもらう。それでも上手くいかない時は自分のやり方を変えることもある。でも教える人っていうのは色々な人がいて、例えば教えることに”強い1つのやり方”を持っていてそれだけに頼っている人はそのやり方はその教わる側には適していなくてもそのまま与え続けてしまい、気がついたら手遅れになってしまうことがある。自信があるからそのやり方で間違っていたと気づくまでに時間もかかるし、気付いてもバリエーションがないから結局直せない人もいる。それが悪いと言ってるわけではない。実は“強い1つのやり方”というのは教える側としては喉から手が出るほど欲しいもの。自分の経験や教えてもらってきたものから得られるものではない。自分の経験と反応から得られる。だから自信になるのもわかる。でもそういう人はちょっと立ち止まって振り返って欲しい。100人の中に1人だけ上手くいかない人がいるかもしれない。その時にその人のためにやり方を変える必要があるかもしれない。教える側が自信のあるやり方を変えることや非を認めるのはなかなかできないものです。自信も使い方ですね。昨日の教え子の“なるほど”と思うワードはそれを気づかせてもらえるものだったのかもしれない。